毎年5月から7月にかけて道路沿いや空き地などで、鮮やかな黄色い大きな花が特徴のオオキンケイギクが咲く様子が見られます。
どことなくキバナコスモスにも似た綺麗な花ですが、北アメリカ原産の外来種です。
そんな外来種のオオキンケイギクが風に揺れて咲いている様子を見かけると時折、「あと何年すればオオキンケイギクは日本固有種になるのだろう」と考えることがあります。
いつもそんな不可解なことを考えているわけではありません。皆さんよりそんなことを考えている回数がほんの少し多いという程度です。
オオキンケイギクについて
オオキンケイギクは明治時代には観賞用や園芸用として日本に持ち込まれていたようですが、強健で荒れ地でも育つパイオニア植物としての性質を持ち、また、芝生のように地面を覆うように広がるグランドカバーとしての役割を期待され、法面緑化などに利用されてきました。
しかし、繁殖力が非常に強く、従来の植生に重大な影響を与えかねない恐れがあったため、2006年2月に特定外来生物に指定されています。
そのため、法律により栽培、運搬、販売、譲渡が原則として禁止されており、綺麗な花が咲くため、ついためらいが生じますが、積極的に防除する必要があります。
植物が生息域を広げる方法
植物が生息域を広げるには様々な方法がありますが、風を介して広げることを「風媒」、昆虫を介して広げることを「虫媒」と呼びます。
また、動物を介して生息域を広げることを「動物散布」と呼びます。
動物散布のなかでも、鳥類やサルなどに果実を食べてもらい、消化されなかった種子が糞として別の場所で排出される方法を「被食散布」、リスなどが木の実を保存のために地中に埋めたことで木が育ち、森の維持につながることを「貯食散布」と呼びます。
それらとは別に、人間を介して生息域を広げることを「人為散布」と呼びます。
「くっつき虫」「ひっつき虫」などと呼ばれるオナモミが、人間が着ている服に引っ付いて運ばれることも偶発的な人為散布になると思いますが、今回は意図的な人為散布に注目したいと思います。
意図的な人為散布として、小麦、トウモロコシ、トマトなどが挙げられます。
人為散布で広がった植物
小麦の原産地はコーカサス地方やメソポタミア地方とされ、約10000年前には栽培化され、その後、農耕民族の移動や交易によって広がったと考えられています。
紀元前2000年から3000年頃には西アジアからシルクロードを経由して中国に伝わり、大航海時代にはアメリカ大陸に伝わったと考えられています。
また、現在、世界中で栽培されているサツマイモ、ジャガイモ、トウモロコシ、トマト、タバコなどは、本来はアメリカ大陸を原産とする植物で、クリストファー・コロンブスによってアメリカ大陸からヨーロッパにもたらされました。
これを「コロンブスの交換」と呼びますが、動植物以外に、それまで旧世界にしか存在しなかったインフルエンザやコレラ、マラリア、新大陸にしか存在しなかった黄熱も持ち込まれており、必ずしも良い面ばかりではありません。
しかし、長期的な視点で見ると、コロンブスの交換は新たな病気で人類を減らすよりも、増やすことに寄与した側面があります。
作物とは別にアサガオ、シロツメクサ、チューリップ、そして、オオキンケイギクは園芸や緑化、土壌改良などの目的で意図的な人為散布の結果、野生化しています。
本来、植物が風媒や虫媒、動物散布で生息域を広げようとしても川や海、山などの自然の障壁に阻まれ、広がる速度はそこまで速くありません。
それが、意図のあるなしに関係なく人為散布で短期間での移動が可能になり、ほんの数年で本来の生息地の反対側で侵略的外来種として、猛威を振るっている場合があります。
オオキンケイギクやアレチウリのように特定外来生物に指定されたり、「日本の侵略的外来種ワースト100」に選定されたり、「生態系被害防止外来種リスト」に登録することで、注意喚起を行っています。
モンシロチョウも外来種
春の七草のゴギョウ(ハハコグサ)やナズナも実は外来種とされています。と言っても、稲作や畑作が開始される有史以前に日本に持ち込まれ、野生化した「史前帰化生物」と考えられています。
そのなかには、モンシロチョウも含まれています。
パラドックス的な思考実験が好きな僕は、風に揺れるオオキンケイギクを眺めながら、「帰化生物としてオオキンケイギクを駆除するのなら、史前帰化生物とはいえモンシロチョウは駆除しなくて良いのか」と考え始めてしまうわけです。
そして、人間の都合で持ち込んだとはいえ、現状の植生を破壊する特定外来生物として駆除するべきなのか、人間も自然の一部であるとして、人為散布を自然の成り行きとして受け入れるべきか、という唯一解のない考えが脳内を駆け巡ります。
その結果、特定外来生物として防除されているオオキンケイギクも数千年後、数万年後には日本の固有種として大切にされているかもしれない、という発想にたどり着きます。
そんなふうに悠久の時に思いを馳せていると、僕の中にいるマルクス・アウレリウスが突然、「あたかも一万年も生きるかのように行動するな」と叱りつけてくるのです。
終わりが見えないパラドックス
確かに、1万年後には国家としての「日本」はなくなっているでしょう。でも、その頃には現在、野生化しているオオキンケイギクは日本固有種になっているかもしれません。
しかし、マルクス・アウレリウスの言葉が「そんな先の未来を心配するより、この瞬間のことを考えろ」と、僕の自由な発想を現実に引き戻します。子や孫のために、現時点での日本の植生に影響を与えかねないオオキンケイギクは、やはり防除するべきなのでしょう。
日頃からリサイクルを考えて、ごみは分別しているし、2030年までの実現性に疑問は感じつつも言い続けることが重要という意味での「SDGs」も理解できます。
しかし、子供の頃から心のどこかにあった「環境保護とは、人間が地球で今の暮らしを続けるための延命策であって、地球からすればそんなことは知ったこっちゃないはず」という天邪鬼のような、屁理屈のような考えが今もたまに顔を出します。
そして、なによりここまで読んで「オオキンケイギクを見ただけでこんなことを考える変なやつ」と感じている方がいると思います。
僕自身もそう感じています。
ブログにすることで変な発想を忘れることができる
そこで、オオキンケイギクを見て突然脳内に飛んできた自分でもよく分からない「思考の風船」の紐を手放さずにブログにまとめることで「記憶の外部化」が完了します。
それにより「この変な発想はもう忘れてもいいんだ」と考えることができます。
今後しばらくの間はオオキンケイギクを見ても「綺麗だけど、草刈りをしなきゃなぁ」ぐらいしか思い浮かばなくなり、僕の低い短期記憶の負荷がほんの少しだけ減るような気がしています。
そして、オオキンケイギクを見ながらこんな面倒くさいことに思いを馳せつつ、近所のご老体に草刈りの相談を考えています。
最後に
草刈りが自然に対するささやかな抵抗であっても、毎年、草刈りを続けることで開花時期がずれたり、背の低い品種が誕生したり、オオキンケイギクが固有種化する環境圧をかけ続けられるかもしれません。
それにより、急速な遺伝的進化を促し、数千年を待たずとも数百年後には、日本の植生への破壊的影響が「新しい安定した生態系」に向かうかもしれません。
しかし、この環境圧はオオキンケイギクにのみ負荷をかけるわけではなく、オオキンケイギクの周辺にある外来種や日本の固有種にも負荷をかけてしまいます。その結果、オオキンケイギクよりもたちの悪い「スーパー雑草」が登場するかもしれません。
所詮、環境なんて自然の一部である人間には管理できないのです。しかし、日々の草刈りがさらに、僕がいない数百年後の植生に何かしらの影響を与えられるのであれば、僕がこの世界に存在した痕跡として、俄然、面倒くさい草刈りが楽しく思えてきます。
これからも、オオキンケイギクの草刈りを頑張ろうと考えています。







