人手不足や高齢化により、何十年と続く祭りを始めとする地域行事が見直されるなど、全国で課題になっています。僕が暮らす地区も例に漏れず、行事開催の準備のために役員会議をすると、その都度、行事の継承や継続が話題に上がります。
関西から山口県に移住をして15年以上が経過し、10年以上、地区の役員をやってきたからこそ見えてくるもの、感じるものがあります。
それは、一見簡単に見える地区の様々な行事は、区民のそれぞれが持つ能力に依存しているということです。
地区の行事は属人化で成り立っている
ここ数年、目に見えて人手不足が顕著になり、効率化と標準化が叫ばれる昨今ですが、地区の行事の準備、実施の多くは世間の流れに反して属人化そのものです。
あるご老体は過去に造船に携わっており、あるご老体は過去に土木工事に携わっていました。また、別のご老体は数年前まで現役の庭師だったり、大工だったり、鳶だったりします。
そういうご老体たちが、盆踊りの櫓を立てるための足場を組み、祭りで繰り出す山車、神輿の組み立てや修繕を行ってきました。
これまでは、それが普通の光景として行われてきました。そのため、気が付きにくい状況でしたが、実際はそういう手に職を持つ方々の支えがなければ実施できなかったように感じます。
顔を合わせるたびに「来年にはわしらがいるか分からんぞ」と冗談のようにやり取りをしてきました。正直、心のなかでは「そんなことが起きるのはまだまだ先の話」と思っていましたが、ここ数年、地区内の元技術者や元職人の何名かは鬼籍に入っています。
僕が暮らす地区において、行事の実施が困難な状況が現実に迫っていると感じ始めています。
溝普請も全然楽じゃない
僕が暮らす地区では、毎年春頃に区民が協力して、地区内の生活排水が流れる側溝の清掃をする
「溝普請(みぞふしん)」と呼ばれる作業があります。また当日は、溝普請に合わせて草刈りも行っています。
僕は、これまでに「溝普請」の準備や手配を担当する自治会の役員を何度か担当しています。今では役員の負荷軽減のため一部を簡略化して不要になりましたが、今から10年近く前は準備の1つに、側溝から出た汚泥を回収、運搬する2tトラックの借り受けと運転手の手配がありました。
2tトラックは昔からの慣例で地区内の建設業者さんから借り受けることになっていましたが、溝普請の実施日までに、建設業者さんに相談と謝礼の手配をする必要がありました。これがなかなか面倒でした。
ただ、2tトラックは借りる場所が決まっているので、そこまで大変さは感じていませんでしたが、毎回苦労していたのは、地区内から2tトラックの運転手を探し出すことでした。
区民の大半の方が2007年6月2日以前に普通免許証を取得しているため、2tトラックの運転自体は問題ありませんでした。しかし、狭い路地を2tトラックで走り回り、しかも荷台を操作するとなると、依頼できる人はかなり限られます。
正直、2tトラックの運転、荷台の操作を一緒に任せられる方は、地区内に1人いるか、2人いるかみたいな状況で、毎年、依頼する方の仕事の都合に合わせて、溝普請の日を調整したり、なかなか手間がかかったことを覚えています。
また、他の方から聞いた話では、僕が役員をする以前は、溝普請の参加者全員に、草刈りの終了後に飲料を配っていたようなので、それがなくなっただけ良かったのかもしれません。
田舎の三種の神器をどうするのか問題
決して草刈りだけではなく、日々の草の成長を抑える「農薬散布機」、草刈り当日に爆音をとどろかせ草をなぎ倒す「草刈機」、刈り取った草を運搬して集積場に集める「軽トラック」と、事あるごとに地区のご老体が所有する「田舎の三種の神器」が活躍しています。
状況によって、農薬散布機がチェーンソーに変わったり、クーラーボックスに変わったりしますが、地区には何かしらの三種の神器があります。
10年前、地区のご老体に一声かければ、7台程度の軽トラックがすぐに集まりました。それが今では3台の軽トラックを集めるのがやっとです。それは草刈機も同じです。
地区の行事で必要な三種の神器は、それらを所有するご老体のご厚意に依存しています。しかし、ご老体が施設や鬼籍に入ると、自ずと地区内の三種の神器の数は減っていきます。
いずれそうなると分かっていても、そんなことはまだまだ先だろうと思っていた現実がすでに目の前に迫っています。
僕が三種の神器を買い揃えるかは別にして、そろそろ自治体が開催しているらしい「刈払機取扱作業者安全衛生教育」だけでも受けておいたほうが良いのかも、と悩み始めています。
今でも地区内で頼めそうな方を探し続けている
地区の行事で顔を合わせるたびに色々な方と話をして、「あそこの〇〇さんは建設関係に勤務らしいよ」「あそこの〇〇さんは大型免許を持っているらしいよ」と聞けば、人づてに声をかけてもらい、情報が事実ならお手伝いを相談しています。
最近でも、地区内で暮らす解体業に携わる方と知り合えたため、断られるのを覚悟で相談したところ、運良く快諾いただき、2025年の阿知須浦まつりでは、山車の組み立てや解体でご協力いただきました。
僕は下から作業を眺めることしかできませんが、ジャングルジムで遊ぶように山車をヒョイヒョイと昇り降りする様子を見て、ただただ「すごいなぁ」と思うばかりでした。
僕が暮らす地区には5年に1度大きな祭りがある
「2025年の阿知須浦まつりが終わりました」でも触れましたが、「十七夜祭」は山口県山口市阿知須の海に近い場所にある5つの自治会が持ち回りで担当して実施しています。
そのため、祭りの担当が5年に1度回ってきます。
大きな山車を曳いて地区内を練り歩くために70人以上の曳き手、余興としての踊り子、太鼓や笛を演奏するシャギリ手など100名以上の方の協力が必要になります。
地区内を8時から15時までの7時間近くかけて練り歩くため、昼食や祭りの終了後に渡すお弁当、祭りの最中の飲み物やお菓子など、毎年、祭りを担当する地区で用意する必要がありますが、準備にはかなりの費用が必要になります。
毎年、自治会内で積み立てなどを行っていますが、2025年の開催地は、昨今の値上げの影響が大きく想定以上の出費になりました。
元々「十七夜祭」とは恵比須神社のご神体を神輿に乗せて海の近くに準備した御旅所まで歩く「御神幸祭」という神事のようなのですが、その余興として、御神幸祭の前年に山車を曳いて地区内を練り歩くようになった歴史があるようです。
そのため、山車を曳いた翌年は、重い神輿を頑張って運ばなければいけません。人手不足と高齢化の波に飲まれる5つの地区は、2年で2つの行事を担当する必要があります。
地区のご老体の中には長年、山車にスピーカーの取り付けや配線を担当していた方がいましたが、数年前に鬼籍に入ってしまったため、2025年の十七夜祭では、地元の電器屋さんに設置を依頼しました。
祭りの原資は区民から支払われる毎年の自治会費からの積み立てと、寄付や様々な補助金で賄われています。地区のご老体に作業を頼むということは、少ない謝礼金という手弁当で相談できる強みがありました。
地元の電器屋は、通常より価格を抑えて作業を請け負ってくれていますが、それでもご老体への謝礼金よりは高額になるため、限られた予算を抑えられるなら可能な限り抑えたいという思いを、地区のご老体が引き受けていた側面がありました。
きっと、これまでも鳶だったご老体が足場を組み上げ、大工だったご老体が丸太をどこからか調達し、船や橋の建造に携わっていたご老体が鉄板をどこから調達していたのだと思います。
もうそういった、区民の善意に甘えることができない状況が一刻一刻と迫っています。
御神幸祭が終わりました
去る2026年5月30日、僕の地区が担当する御神幸祭が開催されました。
当日は、神輿が移動中の警備係、お神酒や食事を準備する接待係、神輿の担ぎ手など、総勢80人以上が一緒になって動いていましたが、1人も怪我人を出すことなく、滞りなく終えることができました。
実は、僕に「祭りの準備を手伝って欲しい」とよく動くご老体から相談があったときは、すでに開催の2ヶ月前でした。
その時点で、実施要領はなく、商工会や警察との協議は行われておらず、近隣自治会への応援要請は出されていない状況でした。
「やってないこと全部乗せ」ぐらいに何もない状態で、自治会内の実行委員会がうまく機能していないことに気が付いたよく動くご老体が中心となり、大急ぎで準備をしました。
まさに、属人化のなせる技でした。
ADHDの特性により自分の予定を変更する存在を強く嫌う僕ですが、今回は率先してしゃしゃり出て手伝いました。
それは、ギリギリまで動いていなかった方々のためではなく、コロナ禍で地区の祭りが何度も延期になり、その間に彼岸に旅立ち、神輿の隣に立てなかったご老体の思いを繋ぐためだったような気がします。
僕を突き動かしたのは、これまで地区のために貢献し続け、そして、僕の目の前からいなくなってしまったご老体たちだったのかもしれません。
ギリギリまで準備をしていなかった方々に、「分からないならもっと早くから動くべきだし、もっと周囲に相談するべきだ」という気持ちがないわけではありません。
ただ、この2ヶ月、ありとあらゆる可処分時間を使って動いていたご老体たちが、懇親会で悪酔いをする様子を見ていたら…
色々言いたい思いは一旦忘れて、ただただ「無事に開催できて本当に良かった」というのが、今の素直な気持ちです。
最後に
僕は標準化至上主義者ではありません。
地区の行事における属人化は必ずしも悪ではないと考えています。地区の行事では、そこで暮らす方々がそれぞれに持っている技術を提供し合う「属人化」が、コミュニティの接着剤として機能している側面も感じています。
しかし、何人かのご老体がいなくなったことで、特定のご老体に頼りすぎない仕組みの重要性を感じています。
特に地区の行事では「行事の存続(合理化)」を選ぶのか、「行事の本質(属人化)」を選ぶのか。解決策を見出すことが難しい問題を見て見ぬふりをして、その場の応急処置で対応しながら突き進むしかなさそうです。







