タイトルにある「心の闇」とはまるで厨二病を表すような言葉ですが、アラフィフに向かっているおじさんが気軽に口にして良い言葉ではないと思います。
2019年に雑貨を作り始めた頃は、僕にはそれまで書き溜めていた大量のメモがありました。
メモの内容の多くは、その瞬間に感じたこと、日常的に目にしているもの、ふと思いついたダジャレなどが書かれており、アイディアに満たないような内容ばかりでした。
それらをこねくり回しているうちに、最初のアイディアから似ても似つかないものに生まれ変わり、缶バッジやシールなどの雑貨に姿を変えていきました。
しかし、雑貨を作り始めてから数年も経過するとメモの多くを使い切り、長年、心の奥底にあった「クライアントワークではなく、自分が作りたいものをデザインしたい」という思いも薄れていました。
今の僕が作っている雑貨のデザインは2019年と比べて変化しているような気がします。
人間が脊髄反射的に反応してしまう感情
突然、本題とは全く無関係なような話をしますが、僕のアイディアの源泉を話す上で大切なことなので少しだけお付き合いください。
僕は、利用者にとって直接的な利益がないクチコミを書くきっかけの多くは、受けたサービスの内容よりも「怒り」か「感動」という感情を原動力にしていると考えています。
「怒り」を感じる多くは店員の態度やサービス内容への不満が要因だと考えています。ただ、僕が感じる「感動」のニュアンスは少し異なります。
というのも、日本人は店員さんをゲームに登場する「NPC(ノンプレイヤーキャラクター)」のように感情がなく、淡々と業務をこなす存在として捉えている節があるように感じることがあります。
そんな店員さんがマニュアルにはない臨機応変な対応をすると、それだけで特別扱いされたと捉える傾向があると感じています。ただ、それをすぐに「神対応」と表現してしまうことへの危うさは感じますが…
とはいえ、僕が週刊誌やスポーツ新聞やSNSに居心地の悪さを感じるのは、そこに怒りにしても、感動にしても、人間のむき出しの感情が見え隠れしているからだと感じています。
文字数の制限があるとはいえ、ニュース記事のタイトルが直情的なのは、利用者の「怒り」「正義感」を刺激して、PV(ページビュー)を増やすことを目的としている側面があります。
また、そのようなタイトルの記事に社会や政治的な内容が多いのも、読者の感情の瞬間湯沸かし器としての効果があるのかもしれません。
なるべく怒らないように過ごしているつもりでも…
一方で僕はというと、社会や政治に強い不満を抱くタイプではなく、それぞれの立場の方がそれぞれに考えて、「それとなくいい感じに動かしてくれていればそれで良い」というふうに受け止めています。
決して、解決が難しい問題を避けているのではなく、感情論だけで考えてしまわないように、なるべく「怒り」から距離を取り、「カツカレーが美味しい」ことに幸せを感じる程度に幸せの沸点を低くして日々を過ごしています。
「怒り」は瞬発力にはなりますが、必要以上にエネルギーを奪うものと感じており、僕個人としては可能な限り「怒り」から距離を置くように努めていますが、それでも、僕が脊髄反射的に怒りを感じる場面はいくつかあります。
具体的には、特定の方の倫理観に反した行動が他の利用者に影響を与えたり、自分自身の考えなど、他者から踏み込んでほしくない領域に土足で踏み込まれたりすると強い憤りを覚えます。
これまでに書き続けてきたメモは、そんな怒りに対する思いと変なダジャレで溢れていました。
ただ、今思うと、日頃から脊髄反射的に怒りに反応しないように気をつけていたとしても、僕の雑貨作りの初期衝動を支えていたのは、誰かへの、何かへの「怒り」や「感動」だったような気がするのです。
クライアントワークとは綺麗に整える作業
僕の仕事は「クライアントワーク」と呼ばれるものが基本になります。
僕は専門学校の卒業と同時に小さなデザイン事務所に就職したため、専門用語という認識がありませんが、「クライアントワーク」とはデザイン業界の専門用語かもしれません。
意味を簡単にお伝えするなら「依頼主(クライアント)の希望に合わせてデザインを作り込む作業」のような感じでしょうか。
僕にとってのクライアントワークとは、依頼主の希望を根掘り葉掘り聞き出して、言語化、構造化して、きれいに整え直す作業であり、そこに僕の個性はありません。
「個性がない」とは言っても、どのデザイナーでも成果物には「個性」が乗ってしまうのですが、それでも可能な限り、個性や感情が漏れ出ないように自我を抑えることに努めていました。
そんなこともあり長年、デザインのなかに「自分自身」が含まれることを抑制し続けた僕にとって、雑貨作りは困惑の連続でした。
雑貨作りには依頼主が存在しない
クライアントワークに慣れきった僕にとって、雑貨作りとの最大の違いは、雑貨作りには依頼主が存在しないということでした。
クライアントワークは依頼主の希望に沿って制作を行うため、依頼主が見せたい情報を前面に、それほど見せたくない情報はそれとなく配置する。それは、UI/UXを重視して、僕個人の個性を消し去り、感情も漏らさない。そんな作業の連続です。
そのことが、僕のなかに「自分勝手に好きなデザインを作りたい!」という鬱積を溜め込ませる要因になっていると長年考えていました。
それなのにいざ、雑貨作りを始めて、しばらくするとメモも枯渇し、初期衝動も消え去り、好きなようにデザインできる何もかもが自由なはずの環境から、途端に「自分は何を表現したかったんだっけ…誰か…指示をくれ…」と思うようになりました。
その状態からあれこれ考えた結果、「自分が感じていること」「自分の感情」をネタにすることにたどり着きました。
とはいえ、実際はそんなきれいなものではなく、うっかり口に出すと僕の人間性が疑われるような思いつきから始まります。それを、感情の赴くままに表現する方が気持ちいいはずですし、ものすごくコアなファンがつくかもしれません。
しかし、僕は1人ブレインストーミングによって、僕のなかから出た「澱み」を濾過する作業を何度も繰り返します。それが僕が作っている雑貨の本質だったりします。
簡単に説明することが難しい僕のそういう思いは「デザインをすること、雑貨を作ること」や「AIと心のウェルビーイング」でも触れていますので、お時間があればご一読いただけると幸いです。
イベント出店を楽しみにしている
イベント出店は設営の準備が大変で、また屋外のイベントでは雨や風への不安があり正直、面倒に感じる部分もあるのですが、実は毎回それなりにワクワクしています。
たまたまイベントに来ていた方が、偶然、僕のブースで足を止めて、「すごい」「変なの」「おもしろ雑貨じゃん」「買ってもどこに付ける?」と話のネタにしている様子をよく見かけます。
また、長年、依頼者のためだけのデザイン制作をしてきた僕にとって、目の前で商品が売れるということで、僕が好き勝手に作ったものに「お金を払う価値がある」と思ってもらえると実感できます。
これらの経験は、社会の緊急時にエッセンシャルワーカーに選ばれない僕にとって、何ものにも代えがたいものがありました。
デザインの源泉になっている僕のなかにあるどす黒い「澱み」をほんの少しだけ浄化する効果があるようにも感じています。
最後に
末筆ながら余談になりますが、ADHDの僕の脳内では思考の多動性ともいえる数秒おきに考えが浮かんでは消える現象が常に起きています。「静かな脳内」がどういうものか分かりません。
そして、このブログも含めて、僕がブログを書き始めたのは長文を書くことへの苦手意識がきっかけとなっていますが、次第に、そういう脳内で浮かんでは消える思考の切れ端を書き留める場所になっています。
それと同じように、雑貨作りも僕の脳内で刹那的に浮かんでは消える思考や澱みが源泉にありました。
しかし、2019年から雑貨作りを始め、2024年からブログを書き始め、僕のなかの「澱み」を吐き出し続けたことで、それが「思考のビオトープ」のように機能して僕の心は少しずつ濾過され、少しばかり浄化されてしまった気がするのです。
その結果、ここ最近、自分が「面白い」と感じる雑貨のアイディアが浮かばなくなりつつあるように感じています。アウトプットを繰り返すと、他者と比べて少し歪んだ僕の思考が浄化されるなんて考えもしませんでした。
そして、AIの登場により僕の取り留めのない考えに数秒で意見を出力することで、今後、僕のなかに「澱みがどのように滞留していくのか、あるいは消え去るのか、少し気になるところです。
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