2026年7月に動画配信サービスで映画を観始めましたが、まず最初に観たのは、過去に何度も観たことがある映画や、パッと名前が思い出せる映画でした。
まずは、毎回、新章を名乗っては新三部作になるはずが幾度となく続編の製作が立ち消えた「ターミネーター」シリーズ、どのレビューサイトを見ても評価が著しく悪い「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」などを観て、その流れで「オブリビオン」「メッセージ」を鑑賞しました。
これは念のためですが、もしかすると、アサイラム界隈のいわゆる「西暦系」と呼ばれる作品のほうが面白いかもしれないと考えて、
- インデペンデンス・デイ 2014
- インデペンデンス・デイ 2022
- インデペンデンス・デイ 2025
を観てみましたが、そこは「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」がどっちにおいても圧勝でした。
僕が観た独立記念日3本立てでは、俳優の演技力、映像やCGのクオリティ、小道具のチープさなどを考慮しなければ、「インデペンデンス・デイ 2022」はそれぞれの登場人物の描き方、異星人が侵略してきた理由などにそれなりの一貫性がありました。
もし、マイケル・パレを補充したいなら「インデペンデンス・デイ 2025」がお勧めです。上映時間87分のうち60分ぐらいは、どことなくトランプ大統領を意識しているのかなと感じるマッコイ大統領役のマイケル・パレが映り込んでいます。
ウォッチリストの重力
いくつかの作品をウォッチリストに追加して、短期間に複数のSF映画を鑑賞したら、それらの情報に引っ張られるかのように、「お勧め」に似たような作品が表示されるようになった気がします。
その結果、「お勧め」には、アーノルド・シュワルツェネッガーの筋肉と1980年代の重力に引き寄せられ「コマンドー」「バトルランナー」「ファイナル・カウントダウン」「ロボコップ」が顔を出すようになりました。
色々と観たい映画はあるはずなのに、ADHDのためタイトルが思い出せなかったり、「ガタカ」を「ダカタ」と覚えているため辿り着けない僕は、次第に「お勧め」に表示されている映画を観るようになりました。
これまでも年間10本程度の映画を映画館で観ていました。それが、月に20本以上の映像作品を観るようになったことで、これまで無自覚だった自分のある癖に気がつきました。
映画を観ているとき、僕の脳内は忙しい
エンドロールが流れるまで、僕の脳は目の前の映像に対して「この場面は、あの映画に似ている?」「この台詞は、あの映画のオマージュなのか?」「タイムスリップしたら裸なのはきっとあの作品の影響だ!」と常に何かを考えていました。
これは、僕にとって決して不快なものではなく、映画の鑑賞中に脳内の定量刺激となり、ある種の心地よさがあります。僕がローランド・エメリッヒ監督の作品を好むのは、この特性の影響により、15分毎に「そうはならんやろ?」が起きるからではないかと感じています。
ただ、月に20本、30本と映画を観ると、さすがに僕の脳も疲労を感じ始めました。そこで、過去に何度も観たことがある映画であれば、脳を無にして楽しめるかもしれないと考えて、1980年代、1990年代の映画を観るようになりました。
でも、思っていたようにはなりませんでした。
失われたのはアークではなく僕の子供心だった
いつの日か「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を観るかもしれないから、第1作から観直しておこうと考えた僕は「レイダース/失われたアーク」を観ることにしました。
子供の頃は、場面が変わるたびに国を移動して知らない文化に触れることができ、格闘家でも元特殊部隊員でもないジョーンズ博士が、拳銃とムチだけでピンチを乗り切る様子を楽しんでいたと思います。
それが40歳を過ぎて「レイダース/失われたアーク」を観てみると、ネパールの山奥で再会して早々にキスをする場面や、マリオンが危険な場面で女性性を武器にしたり、しっかりとした意見を持っているのにジョーンズ博士の助けを大人しく待っている様子に違和感のようなものを感じるようになりました。
これらは映画が製作された時代性や、物語を進めるための、製作当時のお約束やステレオタイプであることは理解しています。
そのため、決して「現代版に合わせてアップデートしろ」「非公開にしろ」とキャンセルカルチャーみたいなことを言う気は全くありません。むしろ、製作当時の文化や雰囲気を伝える意味で過去の映画は配信し続けるべきだと考えています。
ただ、僕の中に芽生えたこの「違和感」の発生源がどこにあるかを知りたいという知的好奇心で、このままブログを進めていきたいと思います。
この違和感は決して悪いものではなく、僕自身は自分の本質は変わっていないと思っていても、実際は子供の頃に比べて、僕を取り巻く世界の解像度が上がったということだと思います。
取り巻く世界の解像度が上がるということ
少し違う言い方をすれば、僕が年齢を重ねる過程でコンプライアンス、リスクヘッジの影響を受けて、僕の道徳心や倫理観に変化が起きているとも言えます。
でも、それにより昔は笑って観れていたはずの場面に強い違和感を抱くようにもなっていました。
なお、これは映画以外でも起きています。
例えば、「パンパン」をする孫悟空、「パフパフ」を要求する亀仙人、下着を見せれば何とかなると思っているブルマ、ポケモンマスターになりたいと志は高いのに、カスミの自転車を壊しても悪びれもしない10歳の悪ガキのサトシなど、40歳を過ぎて観直すと違和感というか、若干の不安を感じています。
さて、話を映画に戻すと「コマンドー」では、ジョン・メイトリックスがサリーを追いかけてショッピングモールに行く場面があります。その際に、ショッピングモールで銃撃戦になりますが、警備員だけではなく、買い物客が巻き込まれているような描写があります。
1980年代の映画の撃たれ役の皆さんは、場面ごとに服を着替えて、それこそ同じ映画のなかで何十回も撃たれ続けていると思います。兵士やテロリストが撃たれることは気にならなくても、見知らぬ人でも見た目が一般市民の場合、「無関係な市民が巻き込まれた!」と思考の重力がそっちに引っ張られがちになります。
現在でも日本人にとって、銃火器が身近な存在ではありません。日常生活の場所での銃撃戦は非現実的なものですが、世界各国で一般市民をターゲットにしたテロ事件が増えたことで他人事のように感じなくなり、フィクションやコメディとして受け入れられなくなったのかもしれません。
筋肉隆々の諜報員が視界の邪魔をする
僕が子供の頃、アクション映画を観ていてアーノルド・シュワルツェネッガーが登場したら、「もう勝てる!」「銃撃戦の始まりだ!」とワクワクし、そして、もう勝利が確定していました。彼の見た目は「勝利のアイコン」として機能していました。
それが、「コマンドー」「バトルランナー」を観た流れから「トゥルーライズ」を観た際にそれは突然起こりました。映画冒頭にふと脳内を、「超優秀とはいえ諜報機関はなぜ、筋肉隆々で身長が190cm近くもある諜報員を潜入させたのだろう…目立つじゃん」という疑問が浮かんでしまいました。
大人になるとこれまでの様々な経験から解像度ばかり上がってしまうのか、映画のそういう部分に意識が向くようになったのかもしれません。
でも、それとは別に、子供の頃にテレビでよく観ていた1980年代、1990年代の映画を観直したことで違う発見もありました。
テレビで観る映画のテンポの良さ
過去の記憶なので絶対とは言えず、また、思い出補正などもあるとは思いますが、動画配信サービスで観直した「コマンドー」「バトルランナー」「トゥルーライズ」は、僕の記憶の中のそれらとはテンポがどことなく悪く感じ、どことなく物語として不要に感じる場面もありました。
僕と映画の出会いは「金曜ロードショー」や「日曜洋画劇場」であり、そこには映画評論家の水野晴郎さんや淀川長治さんがいました。
当時のテレビ事情は分かりませんが、「ノーカット放送」と銘打っていない限りは、21時から22時50分の枠に収まるように放映されていたと思います。番組の最初と終わりには解説が入るため、CMなどを考慮すると映画の放送時間は実質90分以内に収まるように編集されていたはずです。
なんとなく思い出してみると、テレビで観ていた映画はCMの直前に何かが起き、CM明けには移動が終わっているという感じが多かった気がします。
つまり、僕がテンポの悪さや不要に感じた場面は、登場人物の何気ない会話や移動中の場面でした。本来はそれらはアクションとアクションの余韻として差し込まれていたはずですが、テレビでの放映時はバッサリとカットされていたのかもしれません。
「タイパ」「ファスト映画」などが、問題視される昨今ですが、あの頃の余韻を徹底的に削ぎ落として放送されていた映画こそ、タイパの先駆けだったのかもしれません。
最後に
映画は毎年、公開されており、「観たい作品」は年々増加し続けています。2026年7月から9月の間に50作品以上は観たと思います。
鑑賞済みの作品はウォッチリストから削除しています。それでも7月時点で、70件程度だったウォッチリストは、10月現在、300件を超えています。
そういう意味で、過去に何度も観た映画やアサイラム製作のような低予算映画を観ている余裕なんてないはずなのに、時折、低予算映画を観てエリック・ロバーツ、マイケル・パレ、ウィリアム・ボールドウィンの活躍を楽しんでいます。
いやぁ、映画って本当にいいものですね。








