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2026年7月に突然始まった自宅での映画鑑賞で、「インデペンデンス・デイ」「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」「オブリビオン」を立て続けに観た流れで、「異星人とコミュニケーションを試みるSF映画だろう」という感覚でエイミー・アダムス、ジェレミー・レナー主演の「メッセージ」を鑑賞しました。

最終的に「地球外侵略者は核爆弾で吹っ飛ばせ!」みたいな物語だろうと思って観始めましたが、全くそんなことはなく、「異星人の来訪」の皮をかぶった哲学的な映画でした。

「言語相対論」という理論があります。

使用する言語(母語)の違いによって、その話者の認知や思考などに影響を与えるのではないかという考え方です。この説を提唱したエドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフから「サピア=ウォーフの仮説」とも呼ばれています。

専門家ではない僕なりの考え方では、多言語話者であっても、母語は生まれた環境で決定するので、同一人物が英語で育った場合と、日本語で育った場合の比較が困難なため、検証は不可能だと感じています。

ただ、言語相対論には「人間の思考は、使用する言語によって決定される」とする「強い仮説(言語決定論)」と、「人間の思考や認知、注意の向け方は使用する言語の影響を受ける」とする「弱い仮説」があり、バイリンガルなどの後天的な多言語話者などを含め、現時点では「弱い仮説」が支持されています。

この映画は、「強い仮説」が存在する世界を前提に、「人類が自分たちの次元を超えた考え方を持つ異星人の言語に影響を受けたらどうなるのか」という思考実験のような内容になっています。

物語は静かにゆっくりと進む

ある日、世界の12ヶ所に巨大宇宙船が出現したところから物語は始まります。主人公たちは、巨大なタコのような見た目から彼らを「ヘプタポッド」と名付けます。

「未知との遭遇」では、映画終盤で音楽と光で、「インデペンデンス・デイ」のヘリコプターから光を点滅させる手法(ウェルカム・ワゴン作戦)でのコミュニケーションが描かれ、「コンタクト」や「プロジェクト・ヘイル・メアリー」では、数字や図形でのコミュニケーションが描かれています。

「スタートレック」「エイリアン・ネイション」など、一部の映画は別にして、僕がこれまでに観てきたSF映画では、異星人とのコミュニケーションは文字以外で行われる場合が多いように感じます。ただ、この映画では異星人と文字によってやり取りを行います。

と言っても、ヘプタポッドが書く文字は、人類が知っているような文字ではなく、水墨画のようで「円環」のような形状をしています。しかも、どれも同じように見えますが、ルイーズたちは「はね」までの距離や長さなどを1つ1つ調べて、違いと意味を見出していきます。

ただ、そこに「プロジェクト・ヘイル・メアリー」のような互いの理解が深まるようなホープコアな演出はありません。途方もない作業を淡々と続けています。

その様子は物語として知的で面白いのですが、軍関係者は「そんなことはいいから、早くやつらが来た目的を調べろ」と言い出します。映像としても特に何も起きない場面が続き、まるで軍関係者が視聴者の気持ちを代弁しているかのようです。

(以降は、ネタバレになるので、引き返すならここが最後のチャンスです)

映画の中盤からヘプタポッドと文字による会話が可能になり、彼らが地球に来た目的が判明します。と言っても、「3000年後に人類に助けてもらうために、今の人類に贈り物を届けに来た」という、いまいち掴みどころのない理由でしたが…

人間の時間軸では話が壮大すぎる

「閃光のハサウェイ」のハサウェイ・ノアが率いるテロ組織「マフティー・ナビーユ・エリン」は1000年先の地球環境を見据えて、全人類を宇宙に移住させようとしています。

また、「ポケットモンスター ソード&シールド」に登場するマクロコスモス社のローズ社長は、1000年後のガラル地方のエネルギー枯渇問題に危機感を持ち、ムゲンダイナを復活させようとしています。

それぞれ、遥か先の未来までの問題を解決しようとする「大義」で動いていますが、マフティーは現在を懸命に生活している人々を巻き込むことに躊躇がありません。そのためか、ダバオで乗ったタクシー運転手に「ヒマなんだねぇ、その人さ」と言われ、自分たちの大義に対する市井の冷めた様子を突きつけられています。

そして、ヘプタポッドが地球に来た目的もまた、3000年後に人類に助けてもらうために、今の人類に贈り物を届けるためという、私たちから見たら壮大な目的で結果として、3000年後には、この世界にいない人々を核戦争直前のようなパニックに陥れています。

ハサウェイ・ノアやローズには、「あたかも一万年も生きるかのように行動するな」と、マルクス・アウレリウスの言葉をぶつけてみたい気持ちはありますが、ヘプタポッドの場合は印象が少し違います。

彼らは物質的には3次元の存在のようでありながら、「インターステラー」の5次元の存在のような考え方をしているようにも見えます。

ヘプタポッドは時間の認識が異なる

私たちは時間を「過去→現在→未来」へと一方通行で進む不可逆的な流れと認識していますが、ヘプタポッドは、過去、現在、未来を「同時に広がる一枚の風景」と捉えているようで、彼らにとっての、3000年後は「隣の部屋」程度の認識なのかもしれません。

ヘプタポッドのように時間を1つの塊(ブロック)として考えることを、「ブロック宇宙論」というようですが、僕にはさっぱり分かりません。

ルイーズたちは作中に登場する2体のヘプタポッドに、「アボット」と「コステロ」と名付けますが、映画中盤で、アボットはアメリカ軍内の武闘派によって秘密裏に仕掛けられたC4爆弾によって死亡します。

とはいえ、作中にアボットが死亡したという演出はないものの、アボットの状態を心配したルイーズがコステロに尋ねた際にコステロは「アボットは死の過程にある(Abbott is in death process.)」とだけ答えます。

アボットは地球に行けばC4爆弾によって死亡することは分かっていたはずですが、過去、現在、未来を同時に認識している彼らにとって、

  1. 地球へ行くこと
  2. ルイーズに言語を教えること
  3. C4爆弾で死亡すること
  4. 3000年後に人類に助けられること

これらは順番に起こる出来事ではなく、それら全てが最初から1つになった「完成された風景」ということなのだろうと思います。ただ、感覚的に理解するのは難しいですし、これを書いている今も本当にそれが理解できているのかは何とも言えません。

では、ヘプタポッドの言う「贈り物」とは何だったのかというと、それは彼らが使う円環的な「言語」を意味していました。作中の世界は言語相対論の「強い仮説」が前提になっているため、ヘプタポッドが使う言語を理解することで、人類も過去、現在、未来を同時に認識できるということのようです。

そして、作中ではその能力を言語学者のルイーズが獲得します。ただ、ヘプタポッドとのやり取りはルイーズだけではなく物理学者のイアンも同時に行っていましたが、イアンは過去、現在、未来を同時に認識している素振りはなかったので、個人差があるのかもしれません。

未来を知った上でどう生きるのか

ルイーズは映画冒頭から娘と遊び、その娘が若くして病死し、夫が彼女から離れる映像(フラッシュバック)を何度も見ていますが、彼女は結婚しておらず、娘もいません。しかし、映画終盤で、それらは過去の話ではなく、これから起こる未来の話だと判明します。

ヘプタポッドとのやり取りによって能力が開花したことで、ルイーズにとって時間は「過去→現在→未来」のように進むのではなく、「同時に広がる一枚の風景」になったことを表現しているのだと感じています。

そして、彼女の夫になるのは一緒に調査をしていたイアンでした。映画終盤でイアンはルイーズにプロポーズをしますが、イアンは能力を開花している様子がないので、イアンの告白は、数日間、地球の危機を救うために一緒に奔走したことによる「吊り橋効果」の類だろうと邪推したりしています。

ただ、ここで僕自身も子供を持つ親として、未来で起きる出来事を全て知った上で、イアンの告白を受け入れ、若くして病気で亡くなる娘の母親になる決意をしたのはどういう想いからなのかという疑問が湧きました。

一見、ルイーズは、決定論的に起きる円環の中で生きていくことを選び、自由意志を捨てたようにも見えます。あるいは、過去と未来が1つの円環として固定されることで決定論と自由意志が統合された状態に到達したのかもしれません。

ただ、子供との「最も愛おしい時間」を過ごすために親になるとしても、親より先に亡くなるという「最も悲しい時間」がやってくると分かっているなら、僕らはどちらも体験したくないと考えます。それは、最も悲しい思い出が、最も愛おしい思い出をさらに苦しいものにするからです。

だからこそ、なんとか頑張って理解しようとしても、僕の脳は「過去→現在→未来」という直線的な因果関係に囚われているので、分かったフリはできても理解はできないように感じています。

少し話が逸れますが、「マイノリティ・リポート」で、映画の終盤に局長のバージェスがジョンに真実を突きつけられた際に、

  • バージェスがジョンを殺害すればプリコグの予知は正しいが、バージェスは逮捕される
  • バージェスがジョンを殺害しなければ予知の不完全さが露見する

というパラドックスに陥りました。

最終的にバージェスは自らを銃で撃つことでパラドックスに答えを出しました。この行為が予知システムの「マイノリティ・リポート」なのか、アガサの言葉を借りるなら「あなたは未来を知った。だから選べる(You still have a choice.)」なのかは僕には分かりません。

ただ、これはこの世界の理としての決定論だったのか、はたまた、バージェスの自由意志だったのか、パラドックスという沼に落ちそうな気持ちになっています。

最後に

それでも、なんとかして映画が言いたかった目的を自分なりの言葉で導き出したいと思います。色々考えたなかで、最も身近なもので捉えるなら、僕にとっての「映画」は円環的な存在といえるかもしれません。

すでに観たことがある映画を観ることは「結果が分かっているのに受け入れる」というルイーズに近い感覚だと信じたいのです。たとえ、時間の無駄だと分かっていてもB級映画を観てしまうのは「人生の不可逆さと受容」を見つめ直す行為とは言えないでしょうか。

とはいえ、自分でも「そんなわけないだろう!」と思いながら、「メッセージ」を観終わったあと、ふとまだ未鑑賞の1998年に公開された「スライディング・ドア」が観たくなりました。

記事内に映画、漫画、ゲームなどのネタバレが含まれる可能性があります。

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2004年よりWebサイト制作に携わり、2010年から山口県山口市で、Webサイトの制作や更新を専門とする個人事業主として制作業務を行なっております。

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