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今回のブログの「チャッピー」とは、AIの「ChatGPT」のことではなく、2015年に公開されたニール・ブロムカンプ監督の映画「チャッピー」のことです。

僕が映画を観に行くときは、家族か妻と観に行きますが、妻はSF映画が苦手というか、あまり好きではないため、SF映画を観るときは、僕1人で映画館に行くか、気がつくと上映が終わっています。

2009年に公開された「アバター」も、2018年に公開された「レディ・プレイヤー1」も僕1人で観に行きましたが、2015年に公開された「チャッピー」は気がついた時には上映が終わっていました。

公開から11年が経過した2026年、やっと「チャッピー」を鑑賞しました。そして、鑑賞中ずっと頭のなかで「もし、2015年にこの映画を観ていたら、今とは全く違う思いを抱いていた気がする。2015年に観ておくべきだった」と考えていました。

自我を持ったAIの物語

映画は近未来、南アフリカの首都・ヨハネスブルクが舞台になっています。南アフリカ政府はヨハネスブルグの高い犯罪発生率を抑制するために「テトラバール社」から、高性能な人工知能を搭載した治安維持ロボット「スカウト」を警官部隊として導入します。

時を同じくして、スカウトを開発したディオン・ウィルソン(デーヴ・パテール)は、感情を持ち、自分で考えて行動するAIの開発に成功します。

ディオンは早速、上司のミシェル・ブラッドリー(シガニー・ウィーバー)にAIのテストを相談しますが、兵器に感情などは不要として却下されます。

そこで、会社からガードキーを盗み出し、廃棄寸前の「スカウト22号」にインストールしますが、その直後にニンジャ、ヨーランディ、アメリカの3人組のギャングに「スカウト22号」を奪われて、さてどうなるか…という感じの物語です。

とにかく学習スピードが速い

「ターミネーター2」でのT-800の説明によるとスカイネットが稼働したのが1997年8月4日。稼働後、スカイネットは幾何級数的な速度で学習を始め、1997年8月29日に自我が目覚めます。

スカイネットですら稼働から自我に目覚めるまで、25日程度を要しているのに、チャッピーは最初から自我のようなものが芽生えていたとはいえ、驚異的な速さで学習を始めます。

初日、2日目は会話によるコミュニケーションすら怪しい感じでしたが、3日目あたりには絵を描き始めていました。ただ、チャッピーが会話でやり取りができるようになったあたりから、物語の流れに少し変化を感じます。

そもそも、3人組のギャングは高級車の窃盗や現金輸送車などの襲撃の仲間にしようと、チャッピーを誘拐しますが、チャッピーは会話がままならなかったり、未学習のはずが「人間を傷つけてはいけない」と言って銃火器に触ろうとすらしません。

そこで、ニンジャとアメリカは「俺から車を奪ったやつから車を取り戻してくれ!」「人間は手裏剣で遊ぶのが好きなんだ!」というような感じの指示を出すことで、チャッピーはそれをすんなりと受け入れます。

しかし、僕の頭のなかでは「これはハッキングではありません。脆弱性調査を兼ねた予行練習です」と言えば、ハッキングを実行するかもしれないAIへのプロンプト・インジェクションにも似たなんとも言えないモヤモヤを感じ始めました。

無垢なピノキオとしては感じ取れない

当時の製作陣は、未学習で真っ白な状態のAIが悪人に騙されて仲間に引きずり込まれていくピノキオのような物語を想定していたのかもしれません。公開当時なら、僕も誕生から幾何級数的な速度で学習を始め、3日目には理解力が怪しいながらも人間と普通に会話をしているチャッピーの様子が楽しめたと思います。

しかし、日常的に学習、調整が行われたAIを使い始めたことで、たった数日で「概念」を理解するような「超知能の推論エンジン」が、治安が悪いヨハネスブルクの路地に放り出され、倫理の安全装置がない状態で悪意に晒される様子を素直に楽しめなくなってしまったのだと思います。

その結果、映画の中盤以降はチャッピーが人間との関わりでどう変化していくかを楽しむよりも、強烈な「アライメント問題」を突きつけられているような感覚でした。

リアルな人間型ロボットが登場する「SFファンタジー」を観ていたはずなのに「生々しいAIアライメントのホラー」を観せられているような感覚に陥ったといえば伝わるでしょうか。

そういう意味で、これはタイムマシンがあっても叶わない夢ですが、できることなら、僕がAIを利用する前の2015年に「チャッピー」の物語性を純粋に楽しみ、AIを利用している2026年に観直して感じ方の違いを楽しんでみたかったです。

あと、それらとは別に物語が進むほど別の違和感が頭をもたげてきました。それは、チャッピーの死生観についてです。

人間とは異なる死生観

作中のチャッピーは、自分のことを「チタン製の身体を持つ無敵な存在」と考えている素振りがあります。

テトラバール社では、治安維持ロボット「スカウト」以外に、ヴィンセント・ムーア(ヒュー・ジャックマン)はロボコップに登場する「ED209」のような大型軍事ロボット「ムース」を開発しています。ただ、ムースはスカウトに押されて、開発費などが削られているため、ヴィンセントは開発者のディオンとスカウトを激しく恨んでいます。

そんなある日、ヴィンセントは仲間たちと共に街中に放り出されたチャッピーを捕まえて、ガードキーを奪おうとしますが、その際にチャッピーの腕は切断されます。満身創痍でギャングのアジトに戻ったチャッピーは予備部品で修理されますが、これにより、自我を持つチャッピーは「チタン製の無敵な身体」という考えがより強固になったような気がします。

(以降は、ネタバレになるので、引き返すならここが最後のチャンスです)

映画の終盤に、ディオンはヴィンセントが「意識転送装置」を使って操縦するムースに撃たれて重体に陥ります。

そして、どう見ても助かりそうにないディオンにチャッピーは「次の世界に行かないで」「次の世界に行かなくて大丈夫」と声をかけながら、テトラバール社に連れていき、「意識転送装置」を使い、ディオンの意識をテスト用スカウトに移しました。

チャッピーからすると、スカウトに意識を移したディオンは人間だった頃のディオンと連続性があるようで「助かって良かった」という雰囲気ですが、僕としては、これはディオンではなくディオンの複製品という感覚で、素直に喜べませんでした。

「心はどこにあるのか」、この問いに簡単に答えることはできませんが、僕は「心」は「脳」の一部だと考えています。そのため、ロボコップにはマーフィー巡査の脳の一部が使われており、ロボコップ2号機もケインの脳を使っているため連続性を感じています。

そういう意味で、チャッピーの死生観や倫理観が僕にとってはすごく違和感がありました。

ただ、その後、「スタートレック:ピカード」を観て少しだけ印象が変わりました。シーズン1の終盤で、ジャン=リュック・ピカードはイルモディック症候群で死亡するのですが、その後、オルタン・スン博士が、彼の意識を人工有機生命体に移すことで復活します。

つまり、この時点でピカードはある種のアンドロイドであり人間ではないはずです。しかし、彼の関係者は彼の復活を心から喜んでいます。

僕が死んだら体重が21g軽くなるとは思いませんが、欧米では物理的な連続性が切れたとしても、情報としての連続性というか、スワンプマン的な「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という死生観に近いのかもしれません。

その一方で、日本で生まれ育った僕と、世界で最も治安が悪い都市の1つと言われるヨハネスブルクで生まれ育ったニール・ブロムカンプ監督との死生観の違いもどことなく感じています。

ニンジャやヨーランディは、ヨハネスブルクの危険なスラム街で、明日という未来よりも今日を生き抜く、より強い武器を手に入れるという生存戦略としての実用主義(プラグマティズム)のなかで生きています。

監督を含めて彼らにとっては、物質的、精神的な連続性など小難しい話ではなく、脆弱な人間の身体からチタン製の身体に乗り換えることも実用主義の一種と捉えることができるかもしれません。

最後に

とはいえ、ここまで屁理屈をこねくり回しながら、ああでもないこうでもないと書いてきましたが、ふと、「好きな映画を3つ選べ」と言われたら僕はどの作品を選ぶだろうという考えが思い浮かびました。

「未来世紀ブラジル」「ガタカ」「トゥルーマン・ショー」、僕が大好きなローランド・エメリッヒ監督が製作に加わっている「13F」なども捨てがたく、かなり悩むと思いますが、その中でも、アレックス・プロヤス監督の「ダークシティ」、デヴィッド・フィンチャー監督の「ゲーム」は確実に挙げると思います。

そんな映画ばかり好んで観ていた僕がAIを利用する前の2015年に「チャッピー」を観たとしても、純真無垢なAIが色々なことを体験する5日間の物語として素直に受け入れるはずがありません。

きっと、今よりも10歳以上若く、まだ、ADHDを自覚していなかった僕は、ここぞとばかりに屁理屈をあれこれと並べて、考察サイトを読み漁っていたはずです。

と、ここまで色々と書いてきましたが…

映画の最後に登場するニンジャが履いている鮮やかなオレンジ色のズボンにデカデカと縫い付けられた「テンション」という文字に、鑑賞中に浮かんでは消えていった感情の全てを持っていかれる。

そんな感じの映画でした。

記事内に映画、漫画、ゲームなどのネタバレが含まれる可能性があります。

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2004年よりWebサイト制作に携わり、2010年から山口県山口市で、Webサイトの制作や更新を専門とする個人事業主として制作業務を行なっております。

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