ADHDと共に生きていくとはどういう状態なのか

2026年01月26日

ADHDと共に生きていく」「ADHDとゲーム」「ADHDと共に過ごしている」など、これまでに様々なブログでしつこく触れてきましたが、僕は心理検査を受けて、2022年5月に「ADHDの可能性が高い」と診断を受けました。

心理検査を受ける以前の子供の頃にはすでに「見落としが多い」「すぐに忘れる」という感覚があり、すぐにメモを取る、何度も確認をすると自分なりに意識をして気をつけていていました。

ただ、それでも、見落としがなくなることはなく、その都度「また失敗をしてしまった…」と人知れず落ち込んでいましたが、「きっと僕はうっかりおじさんなんだろう」と思い込むことで自己肯定感をなんとか守りつつ、同世代の友人がミスをしない様子を羨ましく感じていました。

自分なりにADHDを理解しようとしている

僕は自分の知識で理解が難しいことは、自分が分かる範囲の内容を比喩や隠喩(メタファー)を用いることで、自分なりに理解をしようと努めています。

また、ADHDの主な原因は、脳の機能障害とされており、僕の理解が医学的に正しいわけではありませんが、僕なりのADHDへの理解は次のようなものになります。

僕にとってのADHDとは脳のバクやウィルスのようなものではなく、脳にインストールされたOSのプラグインのようなものだと受け止めています。また、このプラグインは工場出荷時からすでにインストールされており、意図的に削除できません。

プラグインとはソフトウェア(アプリ)の機能を拡張するためのソフトウェアを意味しています。あるソフトウェアに、メールの送信機能がない場合でも、プラグインを利用することでメールの送信機能を利用することが可能になります。

つまり、ADHDは僕に寝食も忘れるような集中力(過集中)や、一見無関係に見える情報を関連付けて解釈する(発想の飛躍)などの機能を与えてくれています。特にこれまで書いてきたブログの多くは、こじつけのような「発想の飛躍」によって誕生していると感じています。

しかし、プラグインは便利な一方で、プラグインを追加することでソフトウェアの処理速度の低下を招く場合があります。

ADHDは僕に、記憶力の低さから裏紙にメモを書き続けさせ、注意力散漫から見落としやミスを誘発し、過集中によって身体は休息を求めているのに休もうとしないなどの副作用(トレードオフ)をもたらしています。

ソフトウェアの拡張機能としてのプラグインであれば、削除をするか、同じような機能をするプラグインへの変更が可能です。しかし、冒頭でも書いたように、ADHDは先天的な脳の特性のため、工場出荷時からすでにインストールされ、削除することができません。

ADHDのない世界が分からない

僕は生まれたときから、多くのことをADHDというフィルターを通して体験してきました。また、自分自身がADHDだと知る前は、自分以外の人たちも、それなりに僕と似たような苦労をして日々を過ごしていると考えていました。

そのため、ADHDによって僕の身に降りかかる苦労の多くが「大変」だと感じるよりも、「そういうものだ」と受け止めていたため、周囲に対して「困っているから助けてほしい」と伝える必要があるなんて考えたこともありませんでした。

しかし、心理検査を受け、「ADHD」という原因が与えられたことによって、救われたというと少し大袈裟ですが、様々なことへの受け止め方に変化が生まれたような気がしています。

心理検査を受けて良かったこと

これまでの人生の失敗の多くは僕自身に原因があるのですが、それらの失敗の多くを「ADHD」に丸投げすることができるようになり、ある種の「救い」を得たように感じています。

それは、決して僕の責任をADHDに丸投げするという意味ではなく、長年、1人で背負い続けてきた原因不明の重荷を「ADHD」という相棒に半分持ってもらう感覚に近いかもしれません。

うっかりおじさんになりたかった

心理検査を受ける前の僕は2秒前まで手に持っていたものをどこに置いたか忘れるし、頼まれたことを「後でやっておく」と言うのに、いつまで経ってもやろうとせず、それどころか頼まれたことすらも忘れる感じの「うっかりおじさん」でした。

しかし、僕に用事を頼んでいた妻からすれば、毎回「後でやっておく」と言うのに、いつまで経ってもやろうとしない様子をイライラしながら眺めていたはずです。

そのため、妻とは頻繁に「いつになったらやってくれるの!」「後でやるって言ったじゃん!忘れてただけじゃん!今からするし!」というような口喧嘩をしていました。

解決策が見えず悩んでいた

ただ、僕もこの「正体の分からない生き辛さ」について悩んでいなかったわけではなく、これまでの人生の中で「2秒前まで持っていたものをどこに置いたのかを忘れることなんてあり得る?」と何度も自問自答を繰り返していました。

特に「見落としが多い」「すぐに忘れる」は仕事では大きな影響があり、僕はデザイン案やWebサイトの修正作業を依頼されると10点中2点は見落とします。これまでに「メモをする」「2回見直す」など自分なりに様々な対策を講じてきましたが、それでも見落としていました。

クライアントさんの多くは決して怒ることなく「ここが漏れてるからよろしくね」と優しく指摘してくれる方ばかりで、迅速に対応することで僕なりの誠意は示してたきたつもりです。しかし、それでも僕の心の中には「また迷惑をかけてしまった…」という自己嫌悪にも似た感情がありました。

大人になると自然と改善されると信じていたものの歳を重ねても、どんなに対策や注意をしても改善されない自分自身への苛立ちを「こういうものだから仕方がない」と考えて、自己肯定感を維持するには、「うっかりおじさん」というキャラクター設定が必要だったのかもしれません。

今ならそう感じます。

心理検査を受けても特性はなくならない

心理検査を受けてもADHDの特性はなくなることはありません。僕は死ぬその瞬間までADHDと共に生きていくしかありません。

僕の考え方や、これまで見てきたものの多くはADHDというフィルターを介して認識し、判断していると考えると、もし、将来的にADHDの行動を抑制して、定型発達者のように振る舞える薬が登場したとして、その薬を服用した僕はきっと今の僕とは違う人間になるはずです。

それでも1度しかない人生なのだから、できることなら定型発達としてこの世界を見てみたかったという気持ちがないわけではありません。頼んだ用事を一向にやろうとしない様子を眺めてきた妻も、そんな僕を望んでいるかもしれません。

もしかすると、定型発達として生きる方々も何かしらの悩みや正体の分からない生きづらさを感じているかもしれません。でも、僕はそれを理解することはできません。結局は特性の有無に関わらず、他人の悩みを理解することは難しいのかもしれません。

やっぱり、僕は死ぬまで慣れ親しんだADHDと共に生きていくほうが楽そうです。

ただ、心理検査を受けたところで、ADHDの特性はなくならず、定型発達のようには生きれないとしても、心理検査を受けたことによって僕の中で今までとは異なる考え方が芽生えるようになりました。

自分はADHDだという認識が芽生える

心理検査を受ける前に感じていた生きづらさの正体が、ADHDに起因していると分かったことで、僕の行動に少しだけ変化をもたらしています。

衝動的な発言や行動は抑制できませんが、一瞬だけ客観視できるようになりました。「一瞬だけ客観視できるだけで何が変わるんだろう」と感じていると思いますが、そのことで少しだけ未来の行動に変化が生じます。

心理検査の前の僕は思いついたままに発言をしていたはずです。きっと言わなくても良い、余計な一言も言ってきたはずです。そして、それにより、多くの知人が静かに僕から離れていっただろうと感じています。

今、僕は自分自身がADHDだと認識しています。それにより、衝動的に何かを言おうとしたその瞬間に、ほんの一瞬だけもう1人の僕が「言わないほうが良くないか?それってADHDの行動かもよ?」と語りかけてきます。

そして、咄嗟に言おうとした言葉を一旦飲み込み、「試しに言わないでみよう」と考えます。そして、「いつになったらやってくれるの!」という妻に「忘れていたから今からする」と返すことがあります。

いつもそういう風に返せるわけではありません。ただ、以前なら「後でやっとくって言ったじゃん!忘れてただけじゃん!」と返していた僕が、ほんの少しだけ返す言葉を変えることができるようになりました。

自分の状態を知ることで、返す言葉が変えられるなら、それで喧嘩を防ぐことができるなら、心理検査は受けたほうが良いと考えています。

気になるなら心理検査を受けた方が良い

僕は心理検査を受けようと決め、そのことをなんとなく友人に伝えました。その際に何人かの友人から「人間は誰しも何かを持っているから気にすることはない」という言葉が返ってきました。

この言葉は、もし僕が心理検査を受けても受けなくても、ADHDであっても気にする必要はないという友人なりの気遣いであることは理解していますが、その言葉を受けた方によっては「そこまで深刻に考えることでもないか…」と判断して、心理検査を受けることを止めてしまうかもしれません。

そうであっても、自分の中で少しでも気になる部分があるのなら、心理検査を受けることをお勧めします。もし、心理検査を受けて定型発達のうっかりさんだったとしても、それはそれで何かのネタとしていつの日か役に立つはずです。

最後に

もし、僕が友人の言葉を受けて心理検査を受けることを止めていたら、今でも僕は自分のことがADHDだとは知らずに、「うっかりおじさん」だと信じて、必死で自己肯定感を守っていたかもしれません。

また、僕の場合は心理検査を受けて、ADHDだと分かりましたが、その時点では精神状態は安定しており、社会との接点も維持できていたため、定期的な投薬もカウンセリングも必要ないとの診断でした。

つまり、心理検査を受けても、受けなくても、僕の状況は何1つ変わっていません。

しかし、外向きには何も変わっていなくても、内向きには、これまでの人生の中で感じていた生きづらさの正体が「ADHD」と分かり、抱え込んでいた重荷の半分を、ADHDに持ってもらうことができました。

「僕が悪いんだけど、本当は僕は悪くなかったんだ。僕の責任なんだけど、本当は僕には何の責任もなかったんだ」と思えるようになりました。

ADHDの持ち主として、責任は僕が引き受けるけど、自責の念はADHDに押し付ける―と考えられるようになっただけでも、僕は心理検査を受けて良かったと思っています。

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2004年よりWebサイト制作に携わり、2010年から山口県山口市で、Webサイトの制作や更新を専門とする個人事業主として制作業務を行なっております。

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