Webサイトの制作でCSSの処理が思い出せなかったり、雑貨のデザイン中に「Adobe Illustrator」の便利な使い方を調べる際に、検索サイトではなく、AIに聞いてから、参考サイトを提示してもらうことがあります。
AIに「CSSの counter で1桁の際に前に 0 を付ける処理があったと記憶していますが思い出せません」と伝えると、比較的少ないやり取りで「あなたが思い出そうとしているのは、 counter() 関数の decimal-leading-zero かもしれません」と明示してくれることがあります。
検索したい内容によっては、自然言語検索が使えるAIの方が検索サイトよりも早く探しているものにたどり着けることがあるため、AIの登場は従来の検索の概念を変える可能性が高いと感じています。
先人の知恵があふれる場所
先にも述べましたが、Webサイトやデザインを制作中に思い出せなかったり疑問が生じると事あるごとに検索して、誰かが書いたブログの内容で解決に近づくことが多々あります。過去に参考書などを読みながら何時間かけても解決できなかった問題が、誰かがブログに残してくれた一行のコードで解決することもよくあります。
まさにインターネットに残された先人の知恵によって支えられていると感じています。
ただ、Webサイトを運営するには、時代に合わせたデザインやレイアウトの調整以外に、Webサーバやドメインなどが必要なため、長期間の維持管理にはそれなりの費用が必要になります。
そのため、Webサイトによっては、運用費用の一部を賄おうと、Webサイトに広告を掲載していることがありますが、利用者の情報リテラシーの向上により、本当に興味がある広告以外はクリックを避ける傾向があり、また最近の広告は画面を占有して閲覧者の操作性を奪うものがあります。
それにより、広告へのイメージが悪化して、さらに広告のクリックが避けられる傾向があると考えられ、運用費用が賄えているのか疑問が残ります。
インターネットには数十年分の情報がある
インターネットの利用が一般的になったのはいつとするかは、色々な考え方があると思いますが、Windows95が発売された1995年頃にインターネットに初めて触れた方が多かったと感じています。そのため、1995年からインターネットの利用が一般的になったと考えると、2025年で30年目を迎えます。
つまり、今のインターネットには30年分以上の真実とも嘘とも分からない情報であふれており、また情報は日々増え続けています。利用者の情報リテラシーによっては単語検索だけでは欲しい情報が見つけられない場合があるため、すぐに情報を求める現代人にとって自然言語検索は相性が良いように感じています。
ただ、AIによる自然言語検索は知りたい情報の提供だけではなく、要約や解説も可能なためだけではなく、利用者は検索結果のブログの内容を読み込み理解する手間が省けるようになります。その結果、ブログを読むという行為自体が減少するかもしれません。
ブログを書こうとする行動動機
何かの問題に直面して、誰かが書いたブログ記事によって問題が解決した経験がある方にとって、自分の解決方法をブログ記事として残しておくことで「誰かの解決につながるかもしれない」「ブログへのアクセスが増加するかもしれない」などが、ブログを書くことへの行動動機の一因になっていると感じています。
しかし、AIのチャット画面で、AIに質問をしながら問題を解決することが一般的になった場合、利用者は次第に「誰かが書いたブログから情報を得た」という感覚が薄れて、自分の経験を誰かのためにブログ記事として残そうと考えなくなると感じています。
その結果、利用者に有益な情報がインターネット上にアップロードされる機会が減少傾向に向う可能性が高く、その現象はすでに進行中かもしれません。
AIはインターネット上にあふれる膨大な情報を学習することで利用者の質問に対応することができ、また人間が書く多様な表現方法を学習することで、より人間的な振る舞いを身に着けているように感じています。
しかし、ある時点から新しいブログ記事が増えなくなると、AIは学習機会を失うことになり、その結果、情報提供能力が低下して、数年後には特定の分野では、過去の内容か一般論でしか情報が提供できなくなる可能性を高まるかもしれません。
Webサイトへの訪問者はさらに減りそう
現在のGoogleで「日本の首都は」と検索すると、検索結果に「東京都」と表示されますが、この機能が実装されたタイミングでブログや解説系サイトへの訪問は減ったと考えています。
仮に検索がAIに変わった場合、WebサービスやWebサイトがなくなることはないと考えていますが、ブログや解説系サイトへのアクセスはさらに減少するかもしれません。
そうなった場合、ブログや情報系サイトはSEO(検索サイト最適化)から、AIO(人工知能最適化)を重視することになり、人間が閲覧するためのHTMLやCSSなどによる装飾よりも、AIの情報収集に最適化した構造化ファイルでの制作になるなど、制作環境に変化が起きる可能性があります。
そうなった場合、ブログや情報系サイトはSEO(検索サイト最適化)から、AIO(人工知能最適化)を重視することになるかもしれません。AIは、人間が読むための装飾が施されたHTMLやCSSよりも、内容を効率的に理解できる構造化されたデータを好む傾向があります。そのため、Webサイトの制作は、人間が見やすいデザインよりも、AIが情報を抽出しやすい構造化ファイルの記述が中心になるなど、制作環境に大きな変化が起きる可能性があります。
ただ、ネット広告は、多くのWebサイトに掲載されることで表示回数を確保する必要があるため、Webサイトに大きな変化はなく、「XMLサイトマップ(sitemap.xml)」のような、CMSやブログサービスがAI向けの構造化ファイルを生成する程度の変化で済む気がします。
ここまで、AIによる情報収集の変化が、ブログの存在意義やWebサイトのあり方に影響を与える可能性について考察してきましたが、もし、AIが情報を効率的に提供する未来が訪れた場合、私たちは一体誰のために、そして何のためにブログを書くのでしょうか。
誰のためにブログを書くのか
ブログを書くのは人それぞれに理由があると思いますが、僕がブログを書く理由は「あのときのこう考えていたけど、今はこう考えている」と未来の自分に向けて、自分の考え方や受け止め方がどの程度変化したかを伝えることが理由の1つになっています。
そのため、僕の場合は、誰かへの情報発信というよりは、今の考えを記録しておくという、ブログの語源になったウェブログ(Weblog)に近いかもしれません。また、ある時期に特定の話題のブログ記事が多い場合、自分がいつどんな事に興味を持っていたかが視覚化できる利点もあります。
情報の即時性が優先されがち
検索サイトで「日本の首都は」と検索して、検索結果に「東京都」と表示されることで、知りたい情報にすぐにたどり着き、「タイパが良い」と考える現代人の情報の即時性の追求への結果ではないかと感じています。
僕は「なんでこの考えが思いついたんだろう」「なんでこの考えとこの考えが結びついたんだろう」と、どうでも良いことを延々と考えることが嫌いではありません。それは僕が持つADHDによる「言葉が持つ意味へのこだわり」かもしれませんし、ただの僕の性格かもしれません。
もし、近い未来に僕のブログを読むのがAIだけになったとしても、今しばらくはブログを書き続け、アウトプットし続けたいと考えています。