僕は毎月、歯のメンテナンスのために歯科医院に行っています。
15年程前に虫歯ができ、歯科医院の治療に行きました。その際に歯茎が腫れており、将来的に問題になることを指摘され、幼少期に親に歯を磨いてもらった記憶がないことや歯の磨き方に不安があることを伝えました。
その日から、歯茎の治療、歯磨きの指導、歯のメンテナンスのため定期的な通院が始まりました。そして、通院初期の頃に幾度となく歯間ブラシの重要性を説明されました。
しかし、その都度、僕が「理由は分からないのですが、なぜか歯間ブラシが使えないんです」という全くもって不可解な説明にも怒るでもなく「それなら歯間ブラシが使えるようになるまで病院でキレイにしましょう」と対応してくれました。
最初は月に2回だったメンテナンスが、4ヶ月に1回になり、サボり癖がバレて、今は月に1回、15年間、ほぼサボらずに通院しています。
なぜか歯間ブラシが使えなかった
通院を始めて10年が経過しても歯間ブラシを一向に使おうとしない僕に、決して無理強いすることなく通院のたびに「少しは歯間ブラシを使う気になりましたか?」とのやり取りが続きました。
そして、2022年に心理検査によって僕がADHDだと判明したことで、歯間ブラシが使えないのは、ADHDの特性に起因するのではないかと考えて、自分なりに自己分析をした結果、
- 歯間ブラシを使うことを忘れる
- 歯科医院で歯間ブラシの利用を確認される
- 歯間ブラシのことを思い出して罪悪感を感じてしまい、歯間ブラシのことを考えなくなる
というスパイラルを繰り返しているのではないかと考えました。
そこで、自分自身でもよく分からない自分の心理状態を歯科衛生士さんに伝え、対応策として洗面台に「歯間ブラシを使う」と書いた付箋を貼ってみると伝えました。
そして、その日の支払い時に歯科衛生士さんから可愛らしい歯ブラシの絵と「歯間ブラシを使う」と書かれた青色の付箋をもらいました。
僕が歯間ブラシを使わない理由を怒るでもなく、「歯間ブラシが使えないなら毎月病院できれいにしましょう」と提案してくれ、ADHDという僕にとっても不可解な状態を説明しただけで、付箋を用意してくれました。
他人なのにそこまで気を使わなくても良い―ある意味で実家よりも居心地の良い歯科医院と出会えたことが、僕が苦痛なく15年近くも通院できている理由だと感じています。
歯のメンテナンス中はずっと話をしてくれる
歯科医院には、いつもお世話になっている2人の女性の歯科衛生士さんがいます。歯科衛生士さんの性格なのか、通院初期に僕が歯科医院に良い思い出がないと伝えたためか、いつも優しく接してくれます。
そして、歯のメンテナンス中はずっと話しかけてくれます。最初の頃は首を上下左右に少し動かして「はい」「いいえ」で会話を続けていました。
ただ、毎月のように会うと、互いに親近感を感じるようになり、次第に「はい」「いいえ」では答えられない質問が増えてきました。
こちらとしては、口を開けて、生殺与奪を預けている状態のため、質問への返答を考えるのはなかなか大変で、幾度となく「ヒロです。あなたの脳に直接話しかけています」とテレパシーで伝えられないものかと考えました。
きっと、このブログを読んでいる方の中には、口を開け、質問された内容に答えられない状況で話しかけてくるのを迷惑だと感じる方はいるかもしれません。しかし、僕にとって、それは全く嫌なものではありませんでした。
僕はADHDの特性により、脳内では何かをしていても数秒から数分おきに様々な考えが浮かび、そして消えていく状態が常に起こっています。
この「思考の多動性」と呼べる状態は、歯のメンテナンス中でも起きており、油断すると脳が思考の多動性に乗っ取られ、口を開け続けることに集中できなくなります。
しかし、歯科衛生士さんが積極的に話しかけてくれることで「自分は今、歯のメンテナンスを受けている」と意識することができるため、僕にとって良い緊張感が維持できていました。
歯科衛生士さんがそれを意図的にやっていたかは僕には分かりません。おしゃべり好きだっただけかもしれません。しかし、僕にはそれが居心地の良い空間をもたらしていました。
そして、僕も毎回、歯科医院に向かいながら、「今日はどんな質問をされるんだろう。はい、いいえでは答えられない質問をされるのかな」と歯科衛生士さんとの会話を楽しみにしていました。
うっかり歯科衛生士さんとの会話を伝えてしまった
いつもお世話になっている歯科衛生士の1人は、偶然にも僕が関西から山口県に移住後にできた友人の母親でした。そんなこともあって、歯のメンテナンス以外でも、僕がハンドメイドイベント出店時に、わざわざ、缶バッジやトートバッグを買いに来てくれます。
彼女は僕が奈良県出身であることを知っています。彼女の気遣いで、歯のメンテナンス中の質問は関西が絡むネタが多くなります。
「この前、テレビで奈良の特集を見たのですが、大仏、大きいですね。どれぐらい大きいんですか?」や「この前、家族で京都の宇治に行きました。宇治から奈良まではどれくらいかかりますか」と積極的に「はい」や「いいえ」で答えられない質問を繰り出してきます。
僕も口をゆすぐタイミングで狙って一気に返答しますが、それでは時間が足らないくらいの質問量なので、いつの日か一緒に食事でも食べながら、彼女の疑問の全てに丁寧に答えたいと願って止みません。
そんなある日、彼女が歯のメンテナンス中に僕に「大阪・関西万博」に興味があり、1度でいいから行ってみたいと熱弁してくれました。彼女からすると、関西出身の僕にちょうど良い話のネタだと考えたのかもしれません。
しかし、僕は友人の母親の熱弁に押されて、そのことをうっかり友人に伝えてしまいました。
もちろん、友人からするとそんなことは初耳だったようで「え?関西にも、万博にも行く予定はないけど…」というような印象でした。
僕は良かれと思って伝えたつもりでしたが、もしかすると友人と友人の母親に余計な不和をもたらしてしまったのかもしれないと、ADHDの衝動性が起因していそうな僕の行動を含めて申し訳ない気持ちで過ごしていました。
そんな気持ちをうっすら抱えたまま、歯のメンテナンスに行ったある日、歯のメンテナンス中に彼女は延々とUAEパビリオンとサウジアラビアパビリオンの素晴らしさを熱弁してくれました。
僕の余計な一言がきっかけとなって、友人は親孝行と考えて、家族で「大阪・関西万博」に行ったようでした。
15年近く毎月のように会っているとはいえ、歯科医院でしか会わないような関係性ですが、「万博に連れて行ってもらえたようで本当に良かった」と自分が親孝行したかのように嬉しい気持ちになりました。
たまに、本当にたまにですが、ADHDに起因する僕の余計な一言が誰かの幸せの役に立ったのであれば、ADHDを持って生まれたこともそんなには悪くないと思えた瞬間でした。
最後に
友人の母親に年齢を聞いたことはありませんが、友人は僕と年齢がそんなに離れていないはずなので、友人の母親の年齢は僕の両親に近いはずです。
僕はもう15年近く通院しており、最近では、彼女があと何年、歯科衛生士として働けるのか、働いてくれるのかがすごく気になっています。
実の両親よりも顔を合わせたであろう友人の母親の健康を願いつつ、1日でも長く僕の歯のメンテナンスをしてもらいたいと願って止みません。
ブログとして「テレパシーなんかなくても人の心は通じ合えると感じました」と締めるのが綺麗な終わり方のようにも感じますが、きっとこれからも僕は「ヒロです。あなたの脳に直接話しかけています」と言いたくなる場面に何度も遭遇するのだろうと考えています。
そんなことを思いながら、今回のメンテナンスでは、どんな返答のしにくい質問を投げかけられるのだろうかと楽しみにしています。







