コロナ禍で仕事が激減したことでこれまでの自分の行動を内省する時間が増え、また色々なタイミングが重なり、2022年の春頃に心理検査を受けてみることにしました。
そして、心理検査を受けてから数カ月後に「ADHDの可能性が高い」と判明しました。
どんなことに困っているのかが分からない
ADHDは先天的な特性のため定型発達を経験したことがない僕にとって、心理検査を受けるまで比較対象がなく「僕以外の人たちも何かしらの不便を感じながら日々を過ごしている」と考えていました。
そのため、ADHDだと判明して、妻から改めて困っていることを聞かれても正直「そういえば何に困っているんだろう」というのが正直な気持ちでした。
そんなこともあってか、僕がADHDと判明して以降、妻が医学的な小難しい説明はほどほどに気軽に読める資料としてADHD関連のコミックエッセイを買ってきてくれました。
心理検査を受ける前までは、ちょっと物忘れの多いうっかりおじさん程度に捉えていた僕がコミックエッセイを読むことで、自分の状態を客観視して、自分は何が苦手で何に注意しなければいけないのかを理解することに心がけてきました。
コミックエッセイに書かれている様々なADHD当事者の体験談から、僕がそういうものだと諦めていたであろう特性の問題点がいくつか見えてきました。
手に持っていたものが消える
僕は手に持っているものを無意識にどこかに置いてしまう癖がありますが、ADHDの特性により短期記憶(ワーキングメモリ)が低く、置いた場所が記憶に残らないため、数秒前まで手に持っていたものがどこにあるのか分からなくなります。
それなのに、妻から「黄色の小さな部品を見なかった?」と聞かれると、ふと「そういえば数日前から黄色の小さい何かがドアの隙間に落ちてた気がする…」と思い出して確認に行くと、妻の探していた部品だったりします。
覚えておきたい記憶と、そこまで覚えておく必要がない記憶のバランスがうまく取れずに日常生活に影響がないわけではありません。でも、今までもこれでやってきたのでこれからもなんとかなりそうな気もしますが、少しでもQOLが向上するなりと対策してみることにしました。
手に持っているものを置く際は音を出す
手に持っているものを無意識に置いてしまうため、毎回確実に実践できるわけではありませんが、鍵やマグカップを置く際は「カチャ」と音が聞こえるように置くことを心がけています。
これは、妻が買ってきてくれたコミックエッセイの中にあった「発達障害で問題児 でも働けるのは理由がある!」の中で主人公が実践していた対策をそのまま受け売りで真似をしているだけですが、思った以上に効果がありました。
色々試した結果、持っていたものを無意識にどこかに置き、そのことを覚えていないという問題は解決できそうにありませんでした。
そこで、音が聞こえるように置くことで、「どこに置いたっけ?」となった場合に、「どこに置いたか覚えてないけど、この辺でカチャと音がした気がする」という記憶を頼りに、今までよりは少しだけ早く見つけられるようになった気がします。多分、気のせいですけど…
ATMが操作できない
PCの自作や分解はそれほど苦痛なくできるのですが、誰でも簡単に使えるように設計されているはずのATMが使えません。
といっても、ここ10年はPCの自作を全くやっていないため今もできるのか何とも言えませんが、2005年から2015年頃までは、大阪の日本橋に部品を買いに行き、エラーが表示されれば、壊れた部品を特定して交換することをそれなりに楽しんでいました。
そもそも、ATMの画面には最大でも8個程度のボタンしか表示されておらず、それぞれのボタンはこれでもかと大きく表示されており、押し間違う要素は全く感じられません。それでも僕はATMの操作ができません。
ATMの操作は基本的に、
- カードを入れる
- 暗証番号入力する
- 操作ボタンを押す
- 金額選択
- 確認ボタンを押す
という流れになるだろうと思います。
しかし、ATMへの興味が薄く、短期記憶が低い僕にとってのATMの操作は、
- カードを入れる(カードはどこに入れる?)
- 暗証番号入力する(暗証番号って何番だっけ?)
- 操作ボタンを押す(普通と定期ってなに?)
- 金額選択(あってるよね?)
- 確認ボタンを押す(確認ボタンはどこにある?)
となりがちです
また、各銀行のATMは確認ボタンは大きく配置されていますが、端末によりボタンの色がオレンジ色だったり、緑色だったり、右上に配置されていたり、右下に配置されていたりします。
たったこれだけのことでも、僕にとってはUI(ユーザーインターフェース)が微妙に異なるため、銀行ごとにATMの操作を覚え直す必要があり、定型発達の方が感じている以上の苦痛を感じてしまいます。
また、操作するたびに表示されている内容を自分の中で咀嚼して納得する必要がありますが、思考があっちこっちに飛ぶために「確か普通預金だよね?定期預金ってすぐに下ろせないやつだよね?あってるよね?」と悩み始めると戻ってこられない傾向にあります。
その場で、スマートフォンを使って「普通預金 定期預金 違い」と検索できればいいのですが、昨今多発する特殊詐欺などによりATMの近くでスマートフォンの操作をすると何か思われるかもしれないと考えて調べることができません。
また、ATMの操作中は後ろで並んでいる方が「ATMぐらいさっさと操作しろ!」と思っているかもしれないと勝手に焦りを感じているため、操作に行き詰まるとパニックのようになり、その場から逃げたい一心で「取引中止ボタン」を押してしまうこともしばしばでした。
その結果、「手数料を払って窓口でやってもらおう」と自分なりの解決策を見出すのですが…
窓口で並んでいると行員さんに「お客様がATMを操作すれば手数料はかかりませんので。私がATMの操作をお教えしますので」と言われ、こっちがどんなに「手数料を払うので!手数料は気にしていないので!」と伝えても再びATMの前に引き戻されます。
僕が、設計側がユニバーサルデザインによって誰にとっても優しく使えることを前提に準備されたものであっても、一定数の方が取り残されていると考えるのはこういう経験があるためです。
券売機も操作できない
これと同じ問題が鉄道各社でも起きています。人材不足や高齢化、コロナ禍などにより「みどりの窓口」などの対面販売が縮小され、券売機がそのうちロボットに変形するのではないかと思うほどに高機能化しています。
しかし、購入までの経緯が複雑化し、押すボタンと押さないボタンが増えたことで、祖母の口癖ではないですが「このボタンを押しても爆発しない?」と言いそうになることがあります。
それでも、コロナ禍前までは「みどりの窓口」で購入することでなんとかなっていましたが、JR各社では人材不足のため主要駅以外では対面販売を終了するか、対応人数を減少する傾向にあり、ますますボタンだらけの券売機の利用から逃げられなくなりつつあります。
以前、広島での打ち合わせが入り、事前に新幹線の切符を買っておこうとのぞみ停車駅のみどりの窓口で並んでいたところ、駅員さんに声をかけられ「新幹線の切符を購入したい」と伝えると「みどりの券売機」に促されました。
その際にみどりの券売機の操作ができない旨を伝えたところ、「目的地やご希望時間をおっしゃっていただければ私が購入しますので」と言われ、駅員に伝えて、操作方法を見ていたところ「これは俺には無理だ」と確信しました。
しかし、その後、大阪に打ち合わせに行くことになり、必要に迫られても腰が上がらないADHDの特性に何とか打ち勝ち、調べに調べて「スマートEX」「モバイルICOCA」の利用を始めました。
大阪で生活をしていた頃もICOCAを使っていましたが、当時はICOCA内の残金が手軽に確認できず、外出時は常に「少し早く出てチャージしないと…」という気持ちに駆られていました。
残金が1,000円を切ると不安になるので、常に5,000円をチャージするのに、たまにICOCAを落とす、みたいなことを何度も繰り返していました。
それが、モバイルICOCAではどこでも残金が確認でき、どこでもクレジットカードを介してチャージができます。また、新幹線にもチケットレスで乗れるため、外出時の様々な不安が激減しました。
友人から便利だと聞いていたのに「へー」と受け流していただけなのに、実際に体感すると「こんなことならもっと早くモバイルICOCAにしておけばよかった」と感じるからADHDには困ったものです。
僕がADHDとしての負担を少しでも軽減して大阪に行くために準備をしたあれこれは「ADHD、大阪に行く」をご一読いただけると幸いです。
タッチパネルの操作が怖い
ATMや券売機が使えないのは、操作方法が分からない、後ろに並んでいる方に「早くしろ」と思われていないか不安等があると考えていますが、それ以外にタッチパネルを操作そのものが短期記憶に影響しているように感じています。
最近では、なんでもかんでもタッチパネルになり便利ではあるものの、タッチパネルの場合、物理的なボタンとは異なり、ボタンを押した感覚が指先に残らないことが、操作したのか、していないのか分からなくことに無意識に不安を感じているような気がしています。
そこで、少しでも「ボタンを押した」という記憶が残るように、スマートフォンはタップをすると軽く振動する設定に変更しました。
突然ちょっとした不安に襲われる
不安に襲われるといってもそこまで深刻なものではなく、外出時に「車のドアを閉め忘れたかも…」と急に不安になることが何度もありました。
そこで、新車に買い替えた際に「T-Connect」の「My TOYOTA+」を利用することにしました。スマートフォンに「My TOYOTA+」をインストールすると車のドアや窓の開閉状況が確認できます。また、ドアが施錠されていない状態で鍵が一定距離以上離れるとスマートフォンに通知が届き、遠隔で施錠することができます。
「My TOYOTA+」を利用するには有償サービスの「T-Connect」との契約が必要ですが、不安が1つでも減るなら僕にとっては実質無償みたいなものです。
また、我が家の車はドアが施錠された状態の場合、ドアミラーが閉じる仕様になっています。
乗り換え当初は「ドアを施錠するたびにドアミラーを閉じなくてもいいのに…」と感じていましたが、車を降りて数m歩いたところで「あ!ドアを施錠したかな…」と不安になっても遠目にドアミラーを確認することでドアの開閉状態が判断できるようになり、すごく便利です。
ADHDの特性の影響なのか、気になり始めるとそのことしか考えられなくなるため、毎回車までドアの施錠の確認に行っていましたが、アプリの導入により、車まで確認に行く必要が無くなったことで、心理的負担は軽減したように感じています。
また、車のガソリン残量もICOCAの残金と同じように常に気になり、半分を切るとソワソワし始め、運転中も無意識にガソリンスタンドを目で追うようになっていました。
しかし、今乗っている車はガソリンの残量以外に走行可能距離が表示されていることで「ガソリン残量は少ないけどまだ150km走れるなら大丈夫」とドアの施錠と同じように運転時の心理的負担が軽減したように感じています。
集中力がプツプツと途切れる
ADHDと判明する以前から「すぐに忘れる」以外に「集中力が続かない」ことを自認していた僕は、制作作業に飲み物を入れに行くことで集中力が途切れないように大きめのマグカップを利用していました。
しかし、結果的にはマグカップの中に飲み物があろうとなかろうと短時間で集中力が途切れるという状況は改善していませんでした。
そこで、ADHDと判明後は小さめのマグカップに変更して、定期的に飲み物を入れに行くことで、制作作業と休息を小刻みに挟み、集中力の維持を試みています。今のところ、この試みは大きなマグカップの頃に比べて、案外上手くいっている気がしています。
また、マグカップの変更以外に、制作作業中に集中力が切れた際は、掃除機で掃除をするようにしています。
これは、まず妻が見える範囲だけが綺麗になっても喜んでくれるタイプだったことに加えて、即時性を求めがちなADHDにとって掃除をすることで「綺麗になった」という結果がすぐに得られるため、一時的に達成感で満たされ、気持ちの切り替えがスムーズになったように感じています。
しかも、部屋の見た目も少しは綺麗になり、気分転換にもなって一石二鳥です
最後に
持っていたものを置く際に音を出すようにする対策は「数秒前まで持っていたものをどこに置いたか記憶する」ものではなく、無くすことを前提に発見時の条件付けを増やしている対処療法のような対策に過ぎません。
そもそも、ADHDは先天的な特性で、完治できるわけでも寛解できるわけではなく、どちらかというと、ADHDは脳(OS)にインストールされており、いかなる理由があっても切り離すことができないような感覚です。
そして、僕が見たものや感じたことは全てADHDというフィルターを介して理解、認識しており、仮にADHDを切り離せた場合、切り離した後の僕は切り離す前の僕と比較して異なる自己同一性を持った存在になるかもしれません。
だから、自己同一性という意味で、ADHDを受け入れざるを得ない部分は強く感じていますが、だからといって、1度しかない人生なら僕も定型発達として生きたかった思いもあります。
そういうのをひっくるめて、決して投げやりなのではなく、ADHDと共に過ごしていくしかない、ADHDと共に過ごしていこう、そんな感じです。


