僕は外出先での食事の際は、様々なメニューの中から、あれこれと悩んだあげく、結局、カレーライスを選ぶことが多いように感じています。
そして、カレーライスの中でも縁起が良いと感じるためか、はたまた見た目のボリュームが魅力的なのか、カツカレーを選ぶ傾向があります。
家族でレストランに行き、メニューをあれこれ見たあげく「今日はカツカレーにしようかな」と言うと、妻に「この前もここでカツカレーを食べてたよ」と言われることも良くあります。
ADHDのため、前回、何を食べたか覚えていないとしても、なぜ毎回、無意識にカレーライスを注文しているのか考えてみようと思います。
カレーへの絶対的な信頼感
カレーのルーにこだわり十数時間、煮込み続けている場合や、味が異なる複数のカレーが楽しめる「あいがけカレー」などがありますが、語弊を恐れずに言うなら、基本的にカレーは、どの店舗で食べても味が予想の範囲に収まっていると感じています。
つまり、独自性が高いカレー専門店を除き、よほどのことがない限り、口に合わないカレーに遭遇することはなく、カレーには「味で失敗する可能性が低い」という自分なりのリスク回避の気持ちがあるのかもしれません。
これを失敗と呼ぶのか、嗜好の違いと呼ぶのかは皆さんにお任せするとして、過去に1度だけカレーで失敗をしたことがあります。
トロピカルフルーツが入ったカレーとの出会い
25年近く前の話になりますが、20代前半だった僕は、友人たちとカフェ巡りを楽しんでいる時期があり、おしゃれな隠れ家的なカフェに行き、昼食を食べることになりました。
そこでも、もちろん、味のリスク回避のためにカレーを頼んだのですが、運ばれてきたカレーは様々なトロピカルフルーツが使用されたカレーライスでした。
味の好みは人それぞれのため、僕が好まないからといって否定するつもりはありません。また、ポテトサラダにりんごが入っていたとしても、酢豚にパイナップルが入っていたとしても、1つも残さずにしっかり食べますが、僕個人としては、おかずには果物は入っていないほうが好みだったりします。
ご飯と甘いものを一緒に食べたくない、という気持ちがあるのかというと、そうではなく、甘酢あんのかかった肉団子や肉じゃがはなんとも感じませんが、ADHDのこだわりの強さとして、果物は食後のデザートとして食べたいのかもしれません。
それはさておき、僕が注文したトロピカルフルーツが入ったカレーライスはというと、なんとも形容しがたい、一般的なカレーとは似ても似つかない味でしたが「自分で頼んだものは残さずに食べる」を信念としているため、1粒残さずしっかりと完食しました。
ただ、それ以降、そのおしゃれなカフェには行くことはありませんでした。
お腹が一杯になれば満足
僕は、食へのこだわりが低いというか、僕の苦手な味でなければ、飲食店のカレーに関しても、店主こだわりの手作りだとしても、業務用のカレールーだとしても、全く気になりません。
また、「お腹が一杯になれば満足」を優先する傾向があり、ある程度、味の範囲が予想でき、失敗が少ないというリスクヘッジからカレーライスを選んでいるようにも感じます。
ただ、よくよく考えてみると、カレーライスに限った話ではなく、中華料理店では天津飯か餃子定食、うどん屋ではかつ丼か天ぷらうどん、パスタ屋ではミートスパゲッティと、どの飲食店でも同じようなメニューを注文する傾向にあるような気がします。
少し本題から逸れますが、僕は、2022年5月に「ADHDの可能性が高い」との診断を受けました。ADHDの特性として、こだわりの強さ、執着という特性があります。その特性が、僕が注文するメニューにも少なからず影響しているかもしれません。
ADHDが影響しているのかもしれない
僕が飲食店で毎回、同じものばかり注文する傾向にあることは、自分自身でも薄々気がついていました。
ただ、ADHDと診断される以前の僕は、自分の行動を食べたいものをあれこれと悩んで、なかなか決められずに悩むぐらいなら、「前回と同じものを食べよう」としているのではないかと考えていました。
僕の行動の中に、そういう気持ちも少なからずあると思いますが、ADHDと診断され、様々なADHD関連の書籍を読む中で、自分のこれまでの行動を少しだけ客観視でき、気がついた点があります。
それは、様々な場面で「決定する」ということに強い抵抗感があるということでした。
「決定する」という苦痛を避けているのかも
例えば、仕事のメールを時間をかけて書き、あとは送信ボタンを押すだけの状態で送信ボタンを押さずに、メールの入力画面が開かれたままだったり、雑貨のデザイン案は完成しているのに、入稿データを作らずに放置したままになっている、ということが頻繁にありました。
また、ASDやADHDに関係なく、人間には選択肢が多すぎると、決断をためらってしまうという、行動経済学やマーケティングでは、「選択のパラドックス」「決定回避の法則」「ジャムの法則」とも呼ばれる心理現象があります。
飲食店のメニューは多岐にわたります。もし、中華料理屋さんでラーメンを頼もうとしても、ラーメンなのか、チャーシュー麺なのか、ラーメンの種類を選び、トッピングを選び、麺の硬さを決める必要があります。
そこまで決めて、店員さんに声をかけ、注文内容を伝えると、「麺の大盛りは無料ですが、どうされますか?」と聞かれたら、「普通の量で」と答えたら、次に「今なら餃子を一緒に頼むとお得ですよ」と聞かれます。
注文が確定するまでに様々な選択に迫られるという状況に対する、自分なりの生存戦略の結果が、「毎回同じものを食べる」だったのかもしれません。
今では、多くの飲食店での注文はタブレット方式になりましたが、タブレットの場合、選択肢が多くても、自分のペースでゆっくりと確認できるため、そこまで大きなストレスには感じません。
同じものを連続して食べても気にならない
これは、ADHDが影響しているというよりは、僕の性格だと感じていますが、僕は昼食にカレーライスを食べ、夕食もカレーライスだったとしても、特に気になりません。
20代後半の会社員時代、昼休憩は1時間でした。当たり前の話ですが、1時間で会社から飲食店に向かい、昼食を食べて、会社に戻ってくる必要がありました。
そのため、昼食は会社から1番近くて、1番安かったうどん屋さんに1年以上、ほぼ毎日足繁く通いました。そして、かけうどんと一緒に、ちくわの磯辺揚げか半熟卵の天ぷらのどちらかを食べていました。当時はこれで、500円程度だったと記憶しています。
毎回、同じ飲食店で同じメニューを食べ続けていたのは、昼休憩の1時間を少しでも効率よく使うためにという考えがありました。また、当時は「うどんが大好きだから」程度に考えていました。
しかし、今思うと、ADHDとして、この毎日のルーティンのような行動によって、一定の安心感をもたらしていたのかもしれません。
ただ、毎日、同じものを食べ続けても、苦痛がないかというと、そういうわけではありませんでした。
ある日突然、食べられなくなった
毎日のように足繁く通っていたうどん屋さんの近くに、全国に店舗がある飲食店で、毎日のように「豚生姜焼き定食」を食べ続けた時期がありました。
当時は、長男が生まれる直前でドタバタしており、また、お金もあまりなく、500円程度で、豚生姜焼き定食が食べられるというのは、本当に助かっていました。
ところが、飲食店に通い続けて数週間が経過した頃、何の前触れもなく豚生姜焼き定食が食べられなくなりました。何をどうしても、豚肉を飲み込めなくなってしまいました。
僕は「自分で頼んだものは残さずに食べる」を信念としているため、水で流し込むように何とか食べきりましたが、その日以降、その飲食店には行くことができなくなりました。
あれから、15年以上が経過しましたが、それまで、毎週のように友人たちと牛丼を食べに行っていたのに、その日以降、その飲食店で牛丼を食べることすらできなくなりました。
今でも、妻が作ってくれる生姜焼きは大好きだし、なんならその飲食店が発売している冷凍の牛丼も定期的に購入をして食べています。
豚生姜焼きの味が濃かったからなのか、店員さんに日本人がおらず、毎回注文に手こずっていたからなのか、はたまた、徹夜が多い職場で、何度か朝5時に豚生姜焼き定食を食べに行っていたため、店内の匂いと仕事の嫌な記憶が結びついてしまったためなのか…
原因ははっきりとは分かりませんが、店内に入ると、今では販売が終了している豚生姜焼き定食のことを思い出してしまうため、あの出来事以降、1度も行けていません。
最後に
普段から「どこでもカレーを食べている気がする」と漠然と感じていたものを、自分なりに構造化して、文章化した結果、以下のような理由が考えられます。
- 味で失敗しないリスクヘッジ
- 様々な選択肢を最小限に抑えられる
- 同じメニューが続いても気にならない
僕は、これらの理由から、毎回同じものを注文しているようです。そして、どの飲食店でも、メニューにうどんやカレーライスがある、というのも理由にある気がします。
唯一、問題があるとすれば、普段からカツカレーを食べているため、打ち合わせ前の腹ごしらえで、受注ができるように、験担ぎでカツカレーを食べたとしても、必ずしも受注しないということでしょうか。
むしろ妻からは「失注するから、打ち合わせ前にカツカレーは食べるな」と言われている有様です。
そんなことに思いを馳せながらも、CoCo壱番屋での注文時の選択肢の多さに苦しみながら、これからも様々な飲食店でカレーライスを食べ続けるのだろうと感じています。






