飲食店でメニューに悩んだら、カレーライスを選びがちで、カレーライスの中でもカツカレーを選びがちな僕ですが、このときはたまたま、牛すじカレーを食べていました。
そんな、美味しい牛すじカレーを食べている時に、突然「なぜ、一部の人間は地震への備えや準備よりも、地震の予知や予言を求めがちになるのだろう」という考えが浮かんできました。
普通なら「美味しいね」で終わるような場面で、多くの方から見ると「どういうこと?」と意味不明に見えるかもしれませんが、ADHDと共に生きている僕にとって、美味しい牛すじカレーをもぐもぐと食べている時でさえ、自分でもよく分からない脈絡のない発想が浮かんでは消えていきます。
今回は、そんな僕の頭の中から飛び出た発想の風船が飛んでいかないように、紐をしっかりと掴んで、話を進めたいと思います。
なお、内容に専門的な知識が必要になる部分があるかもしれませんが、決して僕は専門家ではないため、「この書き手は普段からこんなことを考えているのか…面倒くさいやつだな」程度に受け取っていただけると嬉しいです。
今週の滅亡情報にワクワクするタイプ
僕は、子供の頃から「アダムスキー型UFOの操縦方法」や「金星人はレプティリアンだった」みたいな宇宙人やUMAに関する書籍を好んで読んでいたこともあり、SNSで毎月のように話題になる「〇月〇日に世界は滅亡する」みたいなネタが大好きで、つい「今週の滅亡情報」を追いかけてしまいます。
ここ最近で世間を騒がせた滅亡情報として、ある書籍に書かれていた著者が夢で見た大災害の予言の話が、SNSなどを中心に話題になりました。
予言の日が近づくにつれ、気象庁が科学的根拠がないと否定する見解を公表する異例の対応がありましたが、それでも、海外からの観光客、とりわけ中国や香港からの観光客が急減していると報道されていたことを思い出します。
SNSで隕石の衝突や大規模災害などの予言や予知の話が話題になるたびに毎回感じることは、「それをネタとして楽しむ方」と「予言や予知を不安に感じている方」がいるということです。
僕も含めてネタとして楽しむ側は、科学的根拠のない予言や予知に翻弄されている方を見て「陰謀論」や「スピリチュアル」と一括りに考えがちですが、牛すじカレーを食べている時に感じた感覚はいつものそれとは少し異なっていました。
地震は突然やってきた
話が随分と遡りますが、僕が中学生だった1995年1月17日5時46分、淡路島北部沖を震源とするM7.3の都市直下型地震「阪神・淡路大震災」が発生しました。
当時、僕が生活をしていた奈良県奈良市では、震度5程度を観測しましたが、自宅や自宅周辺では何の被害はありませんでした。翌日から、テレビや新聞では生々しい被害状況が毎日のように報道されていましたが、僕の日々の生活には大きな変化はありませんでした。
僕や僕の家族は、地震の被害を受けたわけでも、親戚や友人が亡くなったわけでもありません。
しかし、多感な時期だったこともあり、「ここから60km先では数千人が亡くなっているのに、僕の生活は昨日と変わらない」という強い矛盾のようななにかが、僕の心の中に残りました。あの日から30年以上経過した今でも、それは確かに残っています。
あの日以降、自宅の隣の道路をトラックが走る振動であっても、ちょっとでも揺れるとものすごくドキドキするようになった気がします。
地震への備えを考えるようになった
専門学校を卒業後、小さなデザイン事務所に就職が決まり、大阪で生活をするようになった頃、地震に備えて、水や缶詰、カップ麺をスーツケースに入れて、玄関の近くに置いてありました。
ただ、買い揃えた時点で安心してしまい、1年から1年半後に思い出したようにスーツケースの中身を確認すると、ほとんどが賞味期限が切れているということを何度も繰り返していました。
その都度、買い直すのですが、次第に買い直すこと自体を面倒に感じるようになり、そのうち、空になったスーツケースがただ置かれているだけという感じになっていました。
その後も、「ローリングストック」という賞味期限の古いものから順番に消費し、消費した分を買い足していく、まるでところてん式のような備蓄方法を知り試してみましたが、結果はあまり変わりませんでした。
災害への備えをADHDの特性から考えてみる
そもそも、災害への備えというのは、決まった期限や期間が存在せず、PCやスマートフォンのような「常時待機モード」に近いと感じています。
また、ローリングストックとは日常的に消費と補充を繰り返すだけのように見えますが、実際は「注文、受取、開封、設置、管理」を維持し続けなければいけません。
しかし、ADHDの特性を持つ僕は、目の前に確固たる目標がないと物事に取り組めないように感じています。また、行動原理は「オンかオフか」しかない部分もあり、「常時待機モード」「省エネモード」などはまず不可能です。
特に、ADHDの行動の特徴として「今からする!今すぐしたい!」という衝動性があります。ついさっきまで、そんな気配はまるでなかったのに、突然、部屋を片付け始めたりします。
学生時代、テスト前になると部屋の片付けがしたくなることがありましたが、そんな現実逃避的な行動ではなく、自分でも予想がつかないタイミングで、一心不乱に部屋を片付け始めたりします。
つまり、保存食の賞味期限が切れていることに気がついたら、今すぐ、補充してしまいたいのです。それと同時に、以前から気になっていた地震発生時に転倒しないかと気になっていた大型家具を今すぐ、固定してしまいたいのです。
そこで、すぐさまカップ麺の量を確認し、家具のサイズを測り、慌ててオンラインショップで防災グッズを注文しますが、オンラインショップの場合、商品が届くまでには「発送」「運搬」という待ち時間が発生します。
また、防災グッズの到着後に、開封して、大型家具を固定したり、保存食をスーツケースに詰めなおしたりなどの作業が必要になります。
しかし、荷物が届く数日後には、僕の衝動性は落ち着き、目の前にある備蓄品や防災グッズが入った段ボールを開封することすらなく、長ければ、そのままの状態で半年以上放置され続けます。
毎日、段ボールを横目に「開けなきゃなぁ…家具を固定して、備蓄品を詰め替えなきゃなぁ…」と思っていても、なかなか取り組めません。阪神・淡路大震災を目の当たりにして、地震への恐怖はあるのに、身体が動かないのです。
ADHDを持つ僕にとって、「災害への備え」は、備蓄品の保管や管理、常時待機モードを維持しなきゃいけないという意味で、備蓄品の重量にしても、心の負担にしても「重い」のです。
語弊を恐れずに言うなら、ADHDと予言は相性がとても良い気がしています。そして、なにより予言は、重量を持たないただの情報のため、とても「軽い」のです。
ADHDと予言は相性が良いのかもしれない
SNSで見かける災害の予言の多くは「0月0日に〇〇地方で大地震が発生する」という形式を取ります。ADHDを持つ僕が相性が良いと感じるのは、次の2点です。
- 断言的な情報の即時性
- 日時というゴールが設定されている
これらを詳しく見ていきたいと思います。
断言的な情報の即時性
政府や気象庁、研究機関などは科学的根拠に基づいて情報を発信しているため、ある程度の規模の地震が発生した際に「今後、1週間程度は同規模の地震に注意が必要」と発表します。
このなんとも曖昧にも感じる注意喚起ですが、科学に誠実であるとも言えます。しかし、地震発生地域などでは終わりが見えない警戒を続けなければならず、「いつまで注意すればいいのかはっきりと言ってほしい!」という思いから強い不安やストレスを感じるかもしれません。
その点、予言の内容ははっきりしています。
予言の多くは日時や場所を断言しているため、指定された日時まで耐え凌ぐことができれば「この状況は終わる」と考えて、モチベーションを維持することができます。
日時というゴールが設定されている
ADHDを持つ僕は、常時待機モードが極めて苦手ですが、制作作業などで「0月0日に完成させてほしい」と相談があると、瞬時に指定日から逆算して、制作スケジュールを組み立てる癖があります。
予言で指定された日時をゴール(納期)として捉えて、それまでに食料や防災グッズを買い揃えておき、予言の日が過ぎれば緊張状態から解放されます。また、指定された地域外で暮らす場合は、警戒する必要すらありません。
これと同じようなことが、コロナ禍に起きていたように感じています。
ワクチンが完成するまでの我慢
2020年1月、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、人類は移動や他者との接触を大幅に抑制されました。また、それと同時に「感染したら死ぬかもしれない」という不安も渦巻いていたように感じています。
しかし、ある程度、ウィルスの性質などが研究されるなかで、「ワクチンが完成すれば今までどおりの生活に戻ることができる」という目標が、この状況を耐え凌ぐ唯一のモチベーションや心の支えになっていました。
コロナ禍に入り、緊急事態宣言が発出され、多くの企業では一時的な休業やテレワークに移行されました。また、多くの企業はテレワークによる業務の進め方を模索している様子もあり、僕が関わっていた制作作業の大半が一時的に停止することになりました。
毎月の給料がない僕にとって、制作作業が止まることは、ある意味で「死」を意味します。しかし、個人事業主のちっぽけな誇りとして「廃業せずに何とかこの状況を乗り切って、遠い未来で『そんなこともあったよねぇ』と笑い話にしたい」という思いもありました。
そのため、僕にとってもワクチンの完成は一縷の望みでした。しかし、2021年に完成したワクチンはコロナ禍を、それ以前に戻すほどの効果はなく、全てが元に戻ると信じていたものは夢に終わりました。
僕もそれなりにショックを受けたように記憶していますが、「相手も簡単に変異するウィルスだし、そういうこともあるよね」となんとか自分を納得させようとしていたような気がします。
しかし、1年近く色々なことを我慢してもたらされた結果が、信じていた結果と大きく異なった場合、諦めより、失望が大きかった人もそれなりにいたと思います。
科学は不確定なことは断言しません。
しかし、見えない不安によって押しつぶされそうな状況の人たちにとっては、結果が異なっていても、何の責任も持たない存在であっても、断定的に語る予言は脳には居心地が良かったのかもしれません。
コロナ禍で、そんな事を何度も経験し、また、コロナ禍の間に様々なことがインターネット上で完結するようになったことで、私たちの「情報の即時性」はさらに加速したのかもしれません。
情報の即時性が加速している
現代は様々なものが速くなったと言われがちですが、情報の即時性は物流の速さの変化に比例していると感じており、さらに、インターネットの登場によって、現時点で、情報の即時性は、人類史上、最も速くなっているように感じています。
普段からの備えよりも「地震 予知」「地震 予言」が検索されがちなのは、認知バイアスの歪みだけではなく、「地震が来るのか来ないのか今すぐ知りたい」という、すぐに結果を知りたいという情報の即時性が影響しているのかもしれません。
さらに、提示されたものが正しいのか、間違っているのかどうであれ、質問した内容に数秒で返事をするAIの登場は、人間の「情報の即時性」を悪いほうに、ますます加速させてしまったようにも感じています。
最後に
冒頭の牛すじカレーの話から、暴投の如く、ものすごく遠いところまで思考が飛んでしまったように感じています。
ここまで取り留めもないことをあれこれと考えてみると、決断が苦手なADHDと断言的な予言は限りなく相性が良いはずです。しかし、オカルトネタが好きな僕であっても、予知や予言には一定の距離を置いています。
その理由もまた、ADHDにありそうです。
言葉の意味に強いこだわりを持つ僕にとって、結果どおりになってもならなくても「責任」を持たない言葉が持つ「重さ」があまりにも軽すぎるのです。それこそが、僕が予言を信じたり、予言に自分の未来を預けられない理由だと感じています。
結局、あれこれと思考をあっちこっちに飛ばしながら、情報が持つ「重さ」が重すぎても、軽すぎても動けない僕にとって、丁度良い「重さ」を探す旅はこれからも続きそうです。











