いきなり本題から脱線しますが、イギリス西部にブリストルという港湾都市があります。
「100名の最も偉大な英国人」にも選ばれたことがあるイザムバード・キングダム・ブルネルが建造に携わったブリストル駅、クリフトン吊橋(Clifton Suspension Bridge)が長い歴史を感じさせてくれる素敵な街です。
脱線ついでに言うと、鉄道車両や鉄道施設などの優秀なデザインに贈呈される国際デザインコンペティションのブルネル賞は、彼の名前が由来になっています。
そんな素敵な場所で、語学学習というわけでもなく、デザインの勉強というわけでもなく、特に何をするでもなく、僕は20代前半に1年ほど人生をサボっていました。
まるで本題と無関係そうに見える内容ですが、僕が今、山口県で暮らしているのは、ブリストルのとある場所で山口県から来ていた妻と出会ったことがきっかけです。本当に人生になにがあるか分かりません。
山口県の名産が「ふぐ」というぐらいの知識はあった
現在では年末の恒例行事も多種多様になっていますが、僕が20代の頃は、関西では年末に「てっさ」「てっちり」と呼ばれる「ふぐ鍋」を食べる文化がありました。
僕が社会人になった頃はまだかろうじて残っており、職場の社長や仕事の関係者さんが奢ってくれるというので、遠慮なくご相伴に預かっていました。
そのふぐが、山口県にある漁港で水揚げされている程度の知識はありましたが、当時の僕の人生の中で妻を除けば、山口県との接点はその程度だと思います。
しかし、よくよく考えると長い人生の中で山口県との接点が時折、あったような気がします。
初めての山口県は修学旅行
僕は小学校の修学旅行で山口県を訪れていたようです。とはいえ、その事をはっきりと覚えていたわけではなく、広島平和記念資料館を見学後、観光バスに乗ってどこかに向かい、洞窟内で過ごすうちに進化の過程で目が消失した魚の説明を聞き、鍾乳洞を見学したという記憶だけが残っていました。
それが、どこにある鍾乳洞だったかまでは覚えていませんでしたが、山口県に引っ越し後、秋吉台や秋芳洞を訪れ、黄金柱や百枚皿を見た際に「ここ、なんか見たことがあるぞ…?」と不思議な感覚を覚え、フラッシュバックのように思い出しました。
映画「釣りバカ日記」が好きだった
「自由に選択できるはずだったのに」でも触れましたが、僕が子供の頃はテレビで頻繁に映画が放映されていました。そんな中で「釣りバカ日誌」と出会い、よく観ていました。
僕は知人や仕事仲間との付き合い以外では釣りをしたことはなく、釣り道具も持っていません。そもそも釣り針に餌を付けることすらできません。
それでも、「釣りバカ日誌」の特に何が起きるわけでもなく、物語がただただ平和に進んでいくだけの、それでいて鑑賞後に余韻を残すこともない雰囲気が好きでよく観ていました。
映画では毎回、日本各地の色々な場所で話が展開されていますが、それすらも興味がありませんでした。
そんな僕が山口県に移住後、Webサイトを制作する個人事業主になったところで急に忙しくなるわけもなく、特にやることもないので、頻繁に1歳にならない長男を連れて山口きらら博記念公園に遊びに行っていました。
公園内には「きららドーム(きらら元気ドーム)」と呼ばれる多目的ドームがあるのですが、初めてきた場所なのに何故か既視感(デジャヴ)を感じていましたが、理由はよく分かっていませんでした。
その後、山口県宇部市にあるときわ公園で長男を乗せたベビーカーを押して歩いている際に、蟻の城を見ながら常盤池を見下ろした際に、なぜか突然、西田敏行さんが演じるハマちゃんが常盤池で釣りを始めて、係員に連れ出されるシーンが脳内に浮かんできました。
ふと「釣りバカ日誌で観たのかもしれない…」と感じて、調べたところ「釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇」は山口県が舞台になっていると知り、改めて鑑賞してみると「きららドーム」と「ときわ公園」がバッチリ映っていました。
どこで撮影しているのか覚えていなくても、映画をしっかりと観ていなくても、なんとなく覚えているから人間の記憶とは不思議なものです。
「ぼくらの地図旅行」を繰り返し読んでいた
僕が子供の頃に「ぼくらの地図旅行」という絵本と出会いました。
文は広島県出身で山口県防府市で暮らしていた那須正幹さん、絵は西村繁男さんの作品で、ひょんなことから、小学5年生のタモちゃんとシンちゃんが、地図だけを頼りに、駅から岬にある灯台まで歩く物語です。
小学生だった僕は、地図だけを頼りに歩く物語の面白さと、西村繁男さんの細部まで描き込まれた絵に加えて、あとがきに書かれている「引っ越し運送の車」など「ウォリーをさがせ」のような宝探しの要素も相まって、ボロボロになってもセロハンテープで修復しながら毎日のように読んでいました。
そのことで「すごく楽しい絵本」という記憶がしっかり残っており、長男が絵本に興味を持ち始めた頃に、一緒に読みたいと考えて本屋さんで購入しました。この数十年で僕は親になりましたが、久しぶりに再会したタモちゃんとシンちゃんは小学生のまま、今も地図旅行を楽しんでいました。
山口県では一部のガードレールが白色ではなく黄色に塗られています。これは、1963年の山口国体の開催に合わせて、山口県特産の「夏みかん」の色に合わせたためです。
ボロボロじゃない「ぼくらの地図旅行」を読み返しているときに、ふと絵本の中に描かれたガードレールの色が黄色だということに気がつきました。
ページを読み進めていくと「くるまえび養殖場」「民宿しらい」が出てきました。そこは間違いなく山口県山口市秋穂の光景でした。改めて、あとがきを確認したところ「吉敷郡秋穂町(現在の山口県山口市秋穂)」がモデルになっていると書かれていました。
僕は知らないうちに、大好きだった絵本の町のモデルになった隣町で暮らしていました。
桃太郎伝説との出会い
「自由に選択できるはずだったのに」でも触れましたが、当時、小学生だった僕と桃太郎伝説との出会いは理不尽な偶然でした。
本当は、ドラゴンクエスト3で遊びたかったものの、それでも、ファミコンで遊びたいという気持ちには抗えず、親に買ってもらった桃太郎伝説を、たまに高橋名人との約束が守れない日もありましたが、1日1時間の大冒険を楽しんでいました。
きっと、高橋名人は当時の子供たちのことを考えて「ゲームは1日1時間」と言ったはずです。
しかし、当時のテレビは今のテレビのように映像が鮮明ではなく、画面がちらつくブラウン管テレビを見ながら「天の声」を入力し、また、現在のゲームのように、どこでもセーブできるわけではなく、セーブするために各村にある神社に行き、「天の声」を書き留める必要がありました。
そんな中で、洞窟(ダンジョン)を探索していたら1時間なんてあっという間です。洞窟の奥にボスがいようものなら、1時間で終わるはずがありません。
ファミコンの電源を入れ、天の声の入力、洞窟までの移動、洞窟の攻略後、神社まで戻ることを考えると、1時間のうち、実際に遊べるのは多くても20分から30分ぐらいしかなかったような気がします。
高橋名人は、桃太郎伝説で遊ぶ子供たちにとって、なかなか酷なことを言っていたように思います。
そんな桃太郎伝説の中盤に「寝太郎の村」という場所に到着します。村は川を挟み東西に分かれており、2つの村をつなぐ橋が架かっていますが、村の到着時はその橋の真ん中で寝太郎が寝ています。そのため、村の反対側に行けません。
そこで寝太郎を起こすために、とある道具を探す必要がありますが、小学生の僕にとって、寝太郎は面倒くさいやつでした。
そんなある時、山口県山陽小野田市にある厚狭駅に行った際に、在来線口に稲束を持った老人の像が建っていました。「なんだろう…」と思って近づいてみると「寝太郎之像」と書かれた銘板が目に入りました。
そうです。そういうことだったんです。
村の橋の真ん中で寝ており、起こすのに手間がかかった寝太郎は民話の中の存在ではなく、厚狭川の堰を作り、荒れ地を美田に変えた英雄だったようで、後世に厚狭駅前に像を残してもらえるような人物だったようです。
本当に寝太郎には苦労させられましたが…すごいやつだったんですね。
そして、インターネットなんか存在しなかった1987年に発売された桃太郎伝説の製作者の皆さんが、自分たちの足で日本中に散らばる民話をかき集めて、1つのゲームとしてまとめたことに、真剣にふざける大人の凄みを実感しました。
最後に
人間とは現在の自分自身の状態と過去の行動を関連付けたがる性質があると考えています。
そのため、これまで僕の過去に起きていた「すでにこの時!すでに山口県と出会っていた!」という思いは長い人生の中で誰にでも起きる可能性があるただの偶然だと感じています。
もし今、僕が青森県で生活をしていたとしたら「僕が初めて食べた果物は青森県産のりんごだったんだ!」と言っていたかもしれません。まるで何か意味があるように感じるだけで、所詮はこじつけです。
そうやって、人生をよりドラマチックにするために「こじつけ」を楽しんでいると、不思議と記憶の蓋が開くことがあります。
そうそう、そういえば、関西の小さなデザイン事務所で会社員として仕事をしていた頃、お世話になっていた印刷屋の70歳近いであろう職人さんに「無理を言うんですが、少し急げたりします?」と相談すると、「ぶるとっぴんでやったる!任しとけ!」といつも言ってくれました。
当時は「ぶるとっぴんってなんだろう…まあ、でもすごく急いでる感じがするな」という程度に聞き流していましたが、「ぶるとっぴん」とは、山口県の方言で「大急ぎ」「大至急」のような意味だということを、山口県に引っ越し後に知りました。
印刷会社も職人さんの名前も思い出せないぐらい昔の思い出話になりますが、あの職人さんにもう1度会えたなら「僕!今!山口県で頑張っていますよ!」とお伝えしたいけど、お伝えできないもどかしさを感じています。
そんな感じに、これからも、ふと思い出した過去の出来事を、現時点での僕と重ね合わせ、こじつけながら穏やかでドラマチックな人生にしていきたいと感じています。
格好良く言えば、自分だけの人生をこじつけながら作っていく―そういう感じです。








