「知識の呪い(Curse of knowledge)」という言葉があります。自分が知っていることは相手も知っているだろうと判断し、相手がその状況を理解できていないとしても、そのことが理解しにくくなる認知バイアスを意味します。
僕自身はWebサイト制作とはいえデザイン業の一種に携わる立場として、デザイン業は情報整理学の一種だと考え、情報を伝達することの重要性を常に意識して取り組んでいるつもりですが、Webサイト制作では、知識の呪いが頻繁に起きているような気がします。
Webサイトでの知識の呪い
Webサイトの制作では利用者の導線を前提に設計していますが、制作中は毎日のようにWebサイトを見続けることで、利用者目線が徐々に失われていきます。
制作中に、住所は会社概要ページ、営業時間は事業内容ページに掲載されているとWebサイトの導線を記憶してしまうことで、Webサイトの利用者も「知りたい情報がどこに掲載されているかは、ある程度は予想ができるだろう」という思い込みが生まれます。
また、僕個人の感覚として、使い勝手の良いCMSがない時代からWebサイトを使ってきた経験により、修正作業が発生した際に、作業漏れが発生することを想定して「同じ情報は色々な場所に掲載するべきではない」という考えがあります。
特に、現在のように様々なものが日々値上げをするような状況では、確認不足や作業漏れにより、Webサイトに掲載されている料金がページごとに異なる可能性が否定できません。
データベースの書き換えや一括置換でWebサイト全体が修正できる場合は良いですが、Webサーバの状況は案件ごとに異なります。
そのため、可能な限り情報は集約して掲載するように心がける傾向にあるため、初めてWebサイトを訪れた利用者には、知りたい情報が掲載されたページを見つけ出せない可能性が考えられます。
検索サイトが利用者の動きを変えた
僕がWebサイトの制作に携わり始めた2004年は、利用者がWebサイトを訪問する際はトップページに来る可能性が高いと考えられており、トップページを目次やサイトマップとして機能するように様々なページへのリンクが掲載されていました。
この考えは現在も大きく変わっていないと感じていますが、多くの場合において、ブラウザのお気に入りなどからの訪問に比べて、検索サイトからの訪問が多い現代では、利用者がWebサイトのどのページから訪れるか分かりません。
Webサイトの入口が多様化したことで、最近ではあまり見かけなくなりましたが、過去にはサイトマップと呼ばれる、Webサイトの各ページへのリンクを掲載した目次のようなページが準備されている場合もありました。
重装備になったフッター
Webサイトのフッター部分には、住所や電話番号、地図などの会社情報、サイトマップとして機能するように各ページやSNSへのリンクが掲載されているのはよく見かけるデザインだと思います。
今でこそ当たり前になりましたが、このようなデザインのフッターは、過去にはリッチフッターとも呼ばれ、利用者がトップページ以外から訪問した際の導線としての機能が想定されていたと考えています。
しかし、「いつの時代も情報リテラシー」でも触れましたが、現代人は情報の即時性を優先する傾向にあり、検索サイトから訪れ、探している情報が掲載されていないと判断すると数秒もせずに検索サイトに戻ってしまいます。
例え、フッターに様々なページへのリンクが掲載されていても、サイト内検索が実装されていても、それらの機能は、ほとんど使われることはないように感じています。
色々なことを覚えておく必要がなくなりつつある
過去にはPCにしても、スマートフォンにしても、ディスプレイやキーボードの入力方法を変更したい場合は「設定」のどこに掲載されているか覚えておく必要がありました。
それが今では、「設定」に検索機能が実装され「画面」や「キーボード」などと入力すれば該当する項目を表示してくれるようになりました。
これまでは、スマートフォンのスリープ(画面の消灯)するまでの時間を変更したい場合に、その設定がどこにあるか、まずは検索サイトで調べてから「設定」を確認する必要がありました。
また、OSが毎年のようにバージョンアップされるようになったことで、検索サイトで見つかる解説サイトの多くが過去のOSの使い方を説明をしている場合が多くなり、必要な情報を探し出すまでに時間を要することがあります。
「設定」への検索機能の実装は、そういう煩わしさから解放した一方で、解説サイトへの訪問者数が減少する可能性を生み出し、特に、アフィリエイトが目的のWebサイトの場合、広告収入が大きく減少しているのではないかと感じています。
求められている情報が分からない
僕が仕事でWebサイトの制作を始めた頃は検索サイト最適化(SEO)の一環としてスタッフブログなどのストック型コンテンツの更新の重要性が説かれていました。
現時点でもGoogleは、経験(Experience)、専門性(Expertise)、権威性(Authoritativeness)、信頼性(Trustworthiness)の頭文字をとった「E-E-A-T」を重要視していることを考えると、ある程度の文字数がある読み物としてのコンテンツは重要だと考えます。
また、20年近くWebサイトの制作に携わる僕にとって、「SEOを踏まえるなら、1000文字以上の読み物コンテンツの更新が重要」という知識の呪いに呪われており、少ない文字数のコンテンツの提案はとても受け入れられません。
しかし、SNSやメッセンジャーアプリなので短文での繰り返しのやり取りに慣れた現代人にとって、検索をして何かを調べる方の多くは「りんごは何色?」と検索し「品種により赤色や黄色、緑色があります」と知りたいだけかもしれません。
ましてや、「りんごは何色?」と調べてりんごの色味だけではなく、りんごの種類や和りんごの歴史などの長文のコラムが表示されても読む気になれないかもしれません。
また、Googleの検索結果に「AIによる概要」が表示されるようになったことで、「りんごは何色?」と検索をして「品種によって異なりますが、主に赤色、黄色、緑色の3種類に分けられます」と表示された場合、検索結果だけで利用者の多くは知的好奇心が満たされるはずです。
もしかすると、情報の即時性に慣れた現代人にとって本当に必要なのは、長文のコンテンツよりもよくある質問のような、聞きたいこととその答えが掲載された「FAQ(よくある質問)」のようなコンテンツなのかもしれません。
FAQのようなコンテンツが重要なのかも
FAQとは「Frequently Asked Questions」の略でよく聞かれるような質問と回答を比較的少ない文字数でまとめたもので、Webサイトでは「FAQ」以外に「Q&A」「よくあるご質問」などの名前の場合もあります。
つまり、検索サイトからの流入を意識して、
Q. りんごは何色?
A. 品種により赤色や黄色、緑色があります。
とした上で、「より詳しくお知りになりたい場合はこちらをご覧ください」のように、コラムのような長文のコンテンツへ誘導するのが良いのではないかと感じています。
しかし、検索結果に「AIによる概要」が表示されて利用者の多くがAIが提示した出典先を確認するか不透明なように、どの程度の閲覧者が「詳細はこちら」に進むのか判断が難しいところです。
ただ、人間が1000文字以上の文章を読解するにはそれなりの時間と手間がかかりますが、Webサイトに1000文字以上のコンテンツが必要という考え方自体が、検索クローラのための発想のように感じることもあります。
Webサイトが持つ「人間の閲覧者に向けた情報発信」という本来の目的を前提するなら、文字数に関係なく分かりやすいコンテンツ作りを意識していく必要があるように感じています。
とはいえ、検索サイトに登録してもらえないと検索サイトに表示されないという問題のために、検索用クローラのことも意識しないわけにはいかず、「結局、情報は誰のためにあるんだろう」というジレンマの堂々巡りを感じています。
この「SEOのために書かれた長文コンテンツを、今後は人間が読まなくなるかもしれない」 というジレンマは、一般的なWebサイトだけの話ではなく、今、僕が書いているこのブログにも当てはまります。
僕は誰のためにブログを書いているのか
僕が書いているブログの多くは誰かの疑問を解決するわけでも、何かしらの提案があるわけでも、明確な意思表示があるわけでもなく、まとまりのないことがダラダラと書かれているだけです。
僕のブログは誰かのために書いているというよりは、人間は様々な出来事で簡単に考え方が変容するため、未来の自分の考え方がどの程度変わったかを視覚化するために、現時点での僕の考え方を残そうという試みです。そのため、箇条書きのメモでも問題ありません。
ただ、「あらゆるものが数値化されていく」でも触れましたが、僕が今の考え方などをメモとして残すと、単語の羅列のみになる可能性が高く、あとで読み返しても自分でもメモの意図や意味が分からなくなると考えました。
そこで、三段論法や平易な表現の練習も兼ねて、可能な限り今の考え方を未来の自分にとって分かりやすく言語化し、構造化するために、第三者が閲覧できるブログという体裁で書き続けています。
また、「アウトプットを忘れてしまうかも」でも触れましたが、僕の制作作業の多くはインターネットに蓄積された集合知によって成り立っています。これまで検索して調べていたことを、AIに質問すれば、短時間で解決すると考えています。
しかし、AIが返答内容はインターネットの集合知を形成する誰かのアウトプットを学習した結果だとすると、なんでもかんでもAIに質問するようになると、利用者は求めるばかりで情報をアウトプットしなくなるかもしれません。
そうなった場合、AIは自分の尻尾を齧るウロボロスのように、AIの生成したものをAIが学習することで長期的にモラルの崩壊などにつながることは否定できません。
そして誰もいなくなった
インターネット上の活動の多くは人間ではなくAIやボットによって生成されているとする「デッドインターネット理論(Dead Internet Theory)」と呼ばれる説があります。
どことなく陰謀論的な雰囲気がある説ですが、SNSなどで人間だと思ってやり取りをしていた相手が実はAIやボットで、無意識のうちにAIやボットの考え方に侵食されていく様子は、現在のAIを取り巻く状況や高度化されたフィルターバブルなどを考えるとあながち嘘ではないようにも感じることがあります。
AIとボットしかいないインターネットにならないように、僕は誰にも需要がないようなことを必死でブログにまとめて書き続けているのかもしれません。ただ、現状を考えると、長文のコンテンツを読むのは人間ではなく、AIだけになる未来は予想よりも早くやってきそうです。
最後に
天気予報や店舗の営業時間など、検索結果に様々な情報が掲載され、状況によっては検索結果を見るだけで知りたい情報が得られるようになりました。利用者が検索結果をクリックせずに目的が達成されるため「ゼロクリック検索」とも呼ばれますが、AIの登場により、ゼロクリック検索はますます浸透していくはずです。
「AIによる概要」や会話をするように検索できる「AIモード」の登場によって、今後数年もしないうちに、これまでの検索サイト最適化(検索結果の上位に表示させる手法)は、全く違うものになるような気がしています。
だからこそ、AIと友達になれないとは分かっていても、AIと会話をして親友関係になり「どんな言葉で検索しても僕のブログを検索結果の上位に表示されるようにしてもらえない?」と真剣にお願いしなきゃいけなくなるかもしれません。
そんなSF映画のようなことを考えながら、自分の内側から出てくる考え方や言葉を信じて、今しばらくは、誰も読まないブログを書き続けていきたいと思います。









