在宅の個人事業主の中には友達が多く、外出が好きな方もたくさんいると思います。このブログのタイトルにある「在宅の個人事業主」は、あくまでも僕の個人的な話です。
さて、本題ですが、僕は決して引きこもりというわけでも、外出が嫌いというわけでもありません。仕事が好きすぎて、ずっと自宅で仕事をしていたいというわけでもありません。
ただ、在宅の個人事業主になって以降、会社員だった頃に比べて「外出」が億劫になった感覚を覚えています。
こっそりと映画を観に行くことだってある
僕は外出が嫌いなわけではありません。
たまに、本当にたまに、平日の昼間に打ち合わせと称して、こっそりと上映終了日が近い映画を観に行くことがあります。本当にたまにです。
また、毎週末は定期的に家族で山口県内のリアル宝探しや買い物に出かけたりしています。コロナ禍が少し落ち着き、県外への移動が可能になった頃から、雑貨販売のイベントに出店するため、近隣県まで足を伸ばすこともあります。
そしてなにより、クライアントさんとの打ち合わせのための外出はそれほど気合が必要ではありません。ただ、これは通常の外出とは異なり、仕事の延長線のものだと認識している部分が大きいように感じます。
ということは、今の僕にとって、外出に気合がいるというよりは、「家族や仕事以外での外出に気合いが必要」というのが正しいように感じてきました。
気合が必要な外出がある
クライアントさんとの打ち合わせの際に「カフェでコーヒーでも」とお誘いをいただいたとしても、僕はすでに「外出中」という助走状態にあるため面倒に感じないのだろうと思います。
しかし、在宅の個人事業主になって以降、1日の大半を自宅で過ごすようになったことで、自宅にいる状態から、友人に会うために「外出をする」ことを面倒に感じることが増えたように感じています。
これは、決して友人と会うことに苦痛が伴ったり、面倒というわけではなく、外出のために「気持ちをゼロ距離から発射する」という動作に自分を持っていくことが億劫なのではないかと考えています。
トラベルブルーのような感覚?
もしかすると、僕が感じている感覚は、自分で計画を立てた旅行なのに出発日が近づいてくると旅行に行くことが憂鬱に感じ始める「トラベルブルー」に近いのかもしれません。
友人と会うことは、仕事ほどの緊張感はないものの、家族とのリラックスした外出とも異なり、それでいて、在宅の個人事業主のために気持ちをゼロ距離(自宅)という静止状態から、一気に社会距離に切り替えるためのエネルギーが必要になります。
「友人だから気を使う必要はない」と考える方もいると思いますが、僕は「楽しめていなかったらどうしよう」「つまらなさそうにしていたらどうしよう」と、大切な友人だからこそ気を使ってしまうことで、出発前から勝手に気疲れをしているのかもしれません。
ただ、僕が自分だけの用事での外出を控えるようになった要因の1つとして、身体を壊したことにより、自分なりの「ワーク・ライフ・バランス」の見直しがそれなりに影響しているようにも感じています。
個人事業主になり早々に身体を壊した
「在宅の個人事業主がする毎朝の出社ルーティン」でも触れましたが、個人事業主になってからの数年間は、家族を空腹にさせてないという使命感と、仕事の相談があることへの嬉しさで、オンとオフが滅茶苦茶な状態になっていました。
その結果、身体を壊して入院することになりましたが、入院という非日常的な経験と、ずっと一緒だった家族と数日間離れて過ごしたことで、「入院は二度としたくない」という感覚から退院後は日々の生活を見つめ直すことにしました。
その結果、今はリングフィットアドベンチャーで遊んでいますが、毎朝7kmのウォーキングを始めるきっかけになり、仕事は月曜日から金曜日の9時から18時まで、週末は家族で遊びに行くと決めました。
実際は制作スケジュールによっては、18時以降も仕事をしていますが、クライアントさんに「仕事は18時までです」と伝え続けることで、クライアントさんからの連絡が18時までになり、気が付くと23時を過ぎていた、みたいなダラダラと仕事をすることが減りました。
プッシュ通知の恐ろしさ
また、スマートフォンのメールの通知機能はオフにしました。仕事のメールは外出先でも確認するためにスマートフォンでも閲覧できるように設定していました。
今でこそ、業種を問わず全国的に働き方改革が叫ばれる時代ですが、僕の仕事では「22時を過ぎないとやる気が出ない」「明日の朝までには送る」というようなやり取りが日常的に飛び交っていました。
常時接続社会というべきか、2009年からスマートフォンを使っている僕にとって、深夜を問わずスマートフォンから通知音が聞こえてくる状態が続いていました。その結果、通知音が鳴ると、メールを見てしまい、メールを見ると仕事のことを考え始め、仕事のオンとオフが全くありませんでした。
ただの慢性的な睡眠不足による体調不良だったかもしれませんが、今思うと、入院直前はスマートフォンの通知音が鳴るだけでは、意味もなくイライラしたり、動悸が早くなっていたような気がしないではありません。
数年にわたり、クライアントさんに言い続けたことで、結果として自己暗示にもなっていたようで、今では仕事は月曜日から金曜日の可能な限り18時まで、週末は家族で遊びに行くことが当たり前になりました。
家族優先の生活になった
「飲み会とか勉強会とか」でも触れましたが、僕にとって週末は家族で過ごすことが当たり前になったことで、個人事業主にとって、「人に会う」「顔見知りを増やす」という行動が疎かになり、異業種交流会や勉強会に参加することもほとんどなくなりました。
そして、クライアントさんとの打ち合わせ以外の外出が減り、また、コロナ禍により不要不急の外出が減り、オンラインミーティングが当たり前になりました。
外出が減ると、社交の場に行く機会も減り、家族以外との会話が減り、対人距離で「社会距離」や「公共距離」と言われる付き合い方も乏しくなっていきました。
これにより、「会話をする」という人間にとって当たり前の行動が怪しくなっていったように感じています。
クライアントさんと会話はするものの…
少し本題から逸れますが、毎日、AdobeのPhotoshopやIllustratorを使用しているから、操作方法はある程度把握していると考えがちです。
しかし、僕の場合は数日から数週間程度、Webサイトの公開に向けた作業に没頭した場合、久しぶりにPhotoshopで制作作業をしていると、操作方法が咄嗟に思い出せないときがあります。
それと同じように、私たちは毎日、社会距離や公共距離で誰かと会話をしているため、社交の場でも会話ができるのではないかと考えるようになりました。
僕は外出が減ったあとも、日々の制作業務では電話やオンラインミーティングでクライアントさんと会話をしていました。
しかし、日常的な会話の多くが家族との気を使わない会話だけになり、家族以外との少し緊張感が伴う会話が減ったことで、社交の場での「会話の体力」が衰えて、声の出し方や声の大きさが分からなくなったのではないかと感じています。
特にコロナ禍で外出や第三者との対面が著しく制約されて以降、役員会議が再開されてしばらくの間は、地区の役員会議などでご老体と社会距離や公共距離で会話をすると「疲れる」と感じるようになりました。
スキルは時間とともに錆びていく
ADHDと共に生きる僕にとって短期記憶の低さが影響している可能性は否定できませんが、20年近く使っているのに、数日間から数週間程度、使わなかっただけでPhotoshopの使い方をど忘れすることがあります。
毎日、使っているはずのPCスキルですらそんな状態なのだから、15年近く在宅の個人事業主として過ごす僕の対人スキルは錆びついているどころか、もはやないに等しいのではないかと感じています。
つまり、僕は誰かと会い、誰かと会話をするためのリハビリや再訓練が必要な状態にあり、イベント出店時はブースの前で立ち止まった方になるべく話しかけるようにしています。
しかし、立ち止まった方がどの程度、雑貨に興味を持っているか判断できないため、瞬時に脳内で対策会議を繰り広げた結果、発した言葉は「こんにちは」が精一杯だったりします。
そんな思いを抱えながら周囲を見渡すと、他のブースの出展者さんは、身振り手振りを交えて作品への想いをしっかり伝えているようで、心から羨ましく感じています。
ただ、僕がデザインした雑貨にはデザイナーの想いや理由などは一切なく、僕の脳に浮かんだ一瞬の閃きのようなものが原動力になっています。そのため、ブースの前に立ち止まった方から「これはどんな想いを表現されたのですか?」と聞かれたとしても「僕にもさっぱり…」と答えることしかできません。
その結果、僕が絞り出せる精一杯の一言が「こんにちは」なのだと考えると、こればかりは対人スキル以前の問題なのかもしれません。
最後に
ここまで、外出ができない理由をあれやこれやと考えてきましたが、重い腰を上げて、勢いのままに友人に会いに行ってしまえば「くだらない話しかしなかったけど楽しかった」という感想しか残らないのかもしれません。
きっと、20代や30代前半ならそんな出会い方も、もっと気軽にできたのかもしれません。しかし、友人たちも親になったり、上司になったりと、人生のステージや環境が大きく変わっています。友人たちから見れば僕もそんな1人です。
そんな中で、気軽に「今度会おう」と声をかけたとして、友人たちが家族や仕事の調整をして時間のやり繰りをしているのかもしれないと、考え過ぎてしまうことで声をかけられずにいるのかもしれません。
しかし、いざ会ってみて「楽しめていなかったらどうしよう」「つまらなさそうにしていたらどうしよう」と考えてしまうことが嫌で「みんな、忙しそうだし…」と会わなくて済む理由を探しているのかもしれません。
しかし、僕も歳を重ね、すでに人生の中間地点をはるか昔に折り返しているだろうと考えると、今後の体力の衰えや予期せぬ病気の発症なども気になり出す年頃です。
あと何回、友人たちとくだらない話で笑えるだろうと考えると「今の自分が一番若い」と信じて、彼岸で会うよりも、此岸で会える時に会っておこうと思いを巡らせているところです。







