2025年5月31日に「阿知須浦まつり」が開催されました。阿知須漁港の空に上がる花火を見ることで、今年も阿知須での初夏を迎えることができたように感じています。

山口県山口市阿知須は山口市の西の端にあり、宇部市と隣接しています。阿知須地域では5月中旬から6月上旬にかけて山口県で一番早いと言われている「阿知須浦まつり・花火大会」が開催されています。

阿知須地域以外から訪れる方にはあまり知られていないように感じますが、花火大会当日の朝から「十七夜祭」と呼ばれる、もう1つの主役ともいえる祭りが行われています。

阿知須で開催される十七夜祭は1870年代に始まったとされ、150年を超える阿知須の伝統行事の1つです。地元の方が「やま」「曳山」と呼ぶ山車を70人以上の曳き手で曳きながら5つの自治会の地区内を練り歩き、それぞれの場所で踊り子の舞や餅まきが披露されます。また、夕方からは、恵比須神社から神輿を阿知須漁港まで担いで運び、漁港で管弦船(かんげんせん)が阿知須漁港周辺を遊覧します。

十七夜祭は阿知須地区内の海に近い5つの自治会が持ち回りで担当していることもあり、それぞれの自治会ごとに山車が練り歩く順路や神輿を担いで運ぶ場所が異なります。

今でこそ「阿知須浦まつり」は花火大会が主で、十七夜祭は余興のようになっていますが、本来は十七夜祭が主で、祭りを見に来る方を増やす目的で花火大会が始まった歴史があるようです。

阿知須は第二の故郷のような場所

僕は2009年に大阪府大阪市から山口県山口市阿知須に引っ越しをしました。海がない奈良県で育った僕にとって、自宅から海が見えるこの場所がすごく気に入っています。

また、引っ越し直後は2004年からやっていたWebサイトの制作業務関連での就職活動を行いましたが、近隣に希望する条件に合うデザイン事務所がなく、妻からの勧めもあり、2010年3月にWebサイトの制作業務を専門にする個人事業主になり、今年で15年目を迎えます。

家にいるけど暇じゃない

僕が在宅の個人事業主をしていることで、自治会の役員を頼まれがちになります。もちろん「家にいるけど暇じゃない」が本音なのですが、会社員の方に比べれば時間の調整がしやすいとの思いから、自治会の役員を引き受けています。

今では自治会の役員だけではなく、子供たちが通う学校のPTA役員や地域づくり協議会、商工会の役員なども引き受けています…しかし、こう書くと、まるで役員を押し付けられているような印象になるかもしれません。

個人事業主として油断すると自宅から1歩も出ずに生活を送る中で、様々な役員を引き受けることで外出をする行動動機や社会との接点の維持につながっている側面があります。

今回も十七夜祭事務局の役員を担当

2017年に僕が暮らす地区の自治会が十七夜祭を担当する際に、初めて十七夜祭事務局の役員を担当しましたが、今回もご先輩方から再び役員を依頼されたため、日頃、色々助けていただいているお礼も兼ねて、今回も十七夜祭事務局の役員を引き受けることにしました。

僕が暮らす地区は本来は2022年に十七夜祭を担当する予定でしたが、2020年から始まった新型コロナウィルス感染症の世界的流行により、3年間の中止を経て、実に8年ぶりの担当となりました。

地区の行事では、世間の例に漏れず高齢化や人手不足により、想定以上に時間を要する場合があります。また、山車の曳き手だけで80人以上を集める必要があったため、今回は十七夜祭が開催予定日から半年前の2024年12月から準備に入ることになりました。

この半年の準備期間で起きた様々な問題点をこのブログに残すことで、次回の改善点へとつなげたいと考えています。

高齢化と人手不足

僕が暮らす地区は比較的密集して住宅が建っているため、地区外からの移住者が見込めない現実があります。それにより阿知須地域でも高齢化率が高い傾向にあります。

これまで自治会での行事では、山車や盆踊りの櫓などの組み立て、解体などがありますが、住民の中に会社員や自営業として大工、鳶、電気工事、金属加工などに携わる方が一定数いたため、玉掛け(クレーンなどでの荷物の吊り上げ作業)やユンボの操作、足場の設置なども業者や他地区の方に頼ることなく自治会内で対応できていました。

しかし、ここ数年、これまで地区のために尽力してくれていた方々の高齢化が顕著になり、また、前回の十七夜祭の担当から8年間で頼りにしていたご老体の数名が亡くなり、自治会内だけでの対応が困難になりつつあります。

責任者がいるようでいない

十七夜祭の開催までに大きく分けて

  • 山車の巡行管理
  • 山車の移動に合わせた通行止め看板の設置と撤去
  • 協力者の募集、人数の把握
  • 弁当や飲み物の配布
  • 踊り手としゃぎり手の練習

が主な作業となります。また、地区のご老体はそれぞれの役割ごとに配置され、それぞれの部署には班長が設定されていました。全体的な事柄は事務局で決定し、決定事項を各班長に伝達する手段が取られました。

協力者の中には管理職の経験者やプロジェクト管理が得意な方もいれば、自営業者として個人で判断して動く方が得意な方もいます。一方で、事務局から伝達したこと以外はしない方や、伝達しても忘れてしまう方もいます。

そのような状況下では、協力者の参加状況は常に変化しており、自治会長や事務局長という立場であっても、逐一状況が把握できているわけではありません。

地区の行事は仕事とは異なり、地区民の善意の協力により成り立っています。多種多様な方がいる中で、班長を引き受けた方々が、常に事務局の意図と完全に一致した連携を取れるとは限りません。

そのため、仕事のように議事録などのルールによって厳格化した場合、その窮屈さを嫌い、積極的に協力いただけない可能性が考えられます。こうした背景から、窮屈さを避ける目的で議事録は残さず、会議の場で決定事項を口頭で報告する方針が採られることになりました。

これにより、責任感が強く非常に頼りになるものの、最終決定者ではないため、自身の判断で動くべきではないと考えるご老体の方々から、会議のたびに前回の決定事項に関する確認作業が発生しました。

これにより「15分で終わりそうな内容を2時間かけてする会議」が幾度となく繰り返され、役員の中には強い不満を感じる人もいたように感じています。しかし、それぞれに異なる思いがあるため、誰も強く言い出せず、各役員の中に小さな不満が生まれていたように感じられました。

開催直前まで状況が変わり続ける

十七夜祭の準備を始めた時点では、どの程度の曳き手が集められるか判断ができないため、ありとあらゆる方に協力を呼びかけましたが、2025年4月の時点で100人近い方に協力をお願いすることができました。

それにより、協力者への呼びかけをお願いしていた方々に「今後は協力者の呼びかけは不要です」と連絡をしたのですが、呼びかけがさらに広がり、定期的に応募がある状況が続いていました。

しかし、こちらから協力の呼びかけをしておいて「人数に達したのでお手伝いは不要です」とお断りするのはあまりにも失礼だろうとの判断で、十七夜祭の前日まで、参加人数の最終調整に追われることになりました。その結果、当日誰が来て、誰が来ないのか正確に把握できておらず、弁当の配布時などに役員や参加者に迷惑をかけたことは大きな反省点です。

引き継がれない反省点

5月31日に十七夜祭が終わったからといって全てが終わったわけではなく、礼状の送付や会計監査、補助金の申請の事務作業がまだ残っており、その中で今回の問題点の洗い出しと次回に向けた改善点のリストアップされています。

冒頭にも書きましたが、阿知須の十七夜祭は海に近い場所にある5つの自治会が持ち回りで担当して実施されています。そのため、次回、僕が暮らす地区が十七夜祭を担当するのは2030年になります。

今回、提示された問題点とその改善点が活かされるのは5年後になるのですが、この5年の間に役員が個人的に管理していた資料の一部を紛失したり、リーダーとして活躍していたご老体が施設に入ったり、亡くなったりすることで、情報が引き継がれない場合が往々にしてあります。

つまり、毎回しっかり反省はするけど、5年後には反映されず、また反省をする、ということを繰り返しているだけなのかもしれません。

忘れがちな宗教的側面

これは僕が以前から気になっている部分ではあるのですが…

十七夜祭は150年以上も続く伝統行事ですが、その一方で、大漁祈願や漁の安全を願う漁師が恵比須様に祈ることを起源としており、神事としての性質を帯びています。残念ながら、この神事としての側面は、華やかな花火大会やイベント性に隠れて、うっかり忘れられがちになっているのが現状です。

役員の中には「あの人は祭りと盆踊りはいつも手伝ってくれない」と小言を言う方が少なからずいます。信仰する宗教と地区の行事は別物と切り離して考えられる方もいれば、信仰する宗教の事情により協力できない方もいると考えられます。

しかし、地区民の中に「地区の行事を手伝う人」と「地区の行事を手伝わない人」による無意識下の分断が少なからずあると感じており、非常に難しい問題です。

終わり良ければ全て良し

半年にわたり、毎週末のように15分で終わりそうな内容を2時間かけてする会議がありました。常に状況が変化する十七夜祭の参加者の一覧表を管理し、地区の子供達が担当する踊りやしゃぎりの練習日に合わせてお菓子や飲み物を買い出しに行ったり、やる事が大量にありました。

その合間に仕事をして年末や年度末、PTA役員や地域づくり協議会の会議に参加をしていました。自分が今、何の役員の会議に参加しているのかよく分からないまま参加していた会議もありました。

最後の方には「15分で終わりそうな内容の会議を毎回2時間も参加して無駄にしてきた時間を無駄にしたくはない!」という気力だけで乗り越えてきました。

そして、毎日のように天気予報を確認し、十七夜祭当日の予報に一喜一憂して過ごしていました。そんな半年間を過ごしながら、開催日の数日前まで雨予報でしたが、雲1つない青空の下で十七夜祭当日を迎えることができました。

なにより協力者の皆さんがしんどいながらも楽しそうに山車を曳く様子を見ることで「大変だったけど無事に開催できて本当に良かった」という気持ちが全てでした。

5年後に同じことで反省していたとしても、終わり良ければ全て良し…今は心の底からそんな気持ちです。

最後に

毎日頑張っている「リングフィット アドベンチャー」のおかげか、筋肉痛はほとんどありませんでしたが、日焼けで肌が熱を持っているのか、翌日はまだ疲れが抜けきっていませんでした。

翌日は朝9時前から阿知須漁港に散乱する様々な容器や空き缶、タバコの吸殻などのゴミ集めを頑張り、山車を来年の担当の地区に引き渡すため、10時から山車の解体作業を行いました。

十七夜祭事務局の会計監査が終わり、解散が宣言されるまでは細々とした作業が続きますが、とりあえずは誰も怪我をすることなく十七夜祭を無事に終えられたことをホッとしています。

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2004年よりWebサイト制作に携わり、2010年から山口県山口市にて、Webサイトの制作、更新を専門とする個人事業主として制作業務を行なっております。

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